連載 齋藤薫の美容自身stage2

女の「喜怒哀楽」分類法

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

隠しているつもりでも隠せない。”本当の顔”は一瞬人に見せただけであなたの印象になってしまう。

女友達の顔を何人か、今ここで思い浮かべてみてほしい。目をつぶって具体的に。その時見える顔は必ず喜怒哀楽のどれかに当てはまるはずだから。それは、彼女が周囲に与えている揺るぎない印象。いわゆる“第一印象”は言わば“作ったよそいきの印象”で、ちょっと良識ある女ならいくらだって笑顔を作れるし、好印象を与えられる。大切なのは、親しい人、身近な人たちの脳の中に、どういった表情で自分の顔の記憶がインプットされているか、それなのである。

その時笑った顔しか出てこない人、彼女は常ににこやかというよりは、むしろ笑い顔が本物。心からちゃんと笑える人の笑顔って、たぶん笑う回数は少なくても、ちゃんと周囲の人の心に“笑顔の女”として残っているはずなのだ。それも、笑顔は生理的な理由から一時的に出てくるもので、その人の性格とはあまり関係がなく瞬時に消えてしまうけれど、陽気であったり陰鬱であったりという“性格”につながる感情がベースにあると、一時的な表情もより力強いインパクトを持って相手に伝わっていき、明快に相手の記憶に残っていくかららしい。従って、目を閉じると怒っている顔ばかり浮かんでくる女は、たとえ一カ月に1回しか怒らなくても、一年に数回しか怒らなくても、心の奥に怒りをいつもたたえているに違いないのだ。

そして、哀しみの表情ばかりが目立つ人ほど、本人はいつも笑顔でいようと心がけている人だったりするもの。胸の奥にしまった性格は、隠しているつもりでも、隠せない。時々ふと人目にさらしてしまう“本当の顔”が、いつの間にか自分の印象を作ってしまっているものなのである。だから本人は、周囲が自分のどんな顔を思い浮かべるのかをわりに知らない。というより、予想とはだいぶ違っているはずなのだ。第一印象と違うだけじゃない、自分が日頃心がけている“自分の印象”とも違う、だからコワイのである。

たとえば怒っている顔しか思い浮かばない人は、何だかんだ結局いつも会話の多くが否定的だったりする。何をとりあげても否定的。「これが好き」という話よりも「これが嫌い」という話のほうがずっと多いし、「誰々が苦手」という話ばかりで、誰かを誉めることはあまりない。わざわざ欠点を見つけて文句ばっかり言っている。そういう人って、たとえそのほとんどを笑顔とともに言っていても、怒っている顔しか浮かばない。そういうものなのだ。同様に、いつも基本的に後ろ向き。これもできない、あれもできない、きっと無理、たぶん不可能と、可能性を自らどんどん断ち切っていく人も、いつも伏し目がちの悲観顔の女になっている。実際はそんな顔を見せていなくても。

ベースにある“性根”みたいなものが、知らず知らず会話の方向性にしっかりと出ていて、それがその人の印象を形作ってしまっている。逆に、これ好き、あの人いい人、これおいしいと、何でも肯定的な人は、だいたい笑顔の女になっている。笑った顔じゃなくても、好意に満ちた、人を安心させる“楽”の顔になっている。どっちにしろふだんの会話の中に肯定形が多い人はそれだけで気持ちのいい顔が他人の心に記憶されていくのだ。そうした顔の記憶は、当然その人の人生に一生つきまとうことになる。本人はにこやかなつもりなのに、今ひとつ愛されない女って、やっぱり“怒った顔”の女が多いし、どうもがいても幸せになれないとしたら、それは“哀しい顔”や“後ろ向きの顔”の顔が、人の記憶に刻まれてしまっているケースが多いのだ。

したがってスポーツ選手でも大成するのは、“喜”と“楽”の顔を持っている人が圧倒的に多いし、仕事でも最後に残るのは喜と楽。結局最後は人間関係。周囲に支持されないと、やっぱりきつい世の中なのである。たったひとつ例外があるとすれば、女優。今どきのドラマの中では、ヒロインほど笑わない。こういう時代には、むしろ“怒った顔”の女優のほうが仕事が多く、成功しやすいとも言われる。男も女に怒られたい男が増えている。“怒りの女”は人生も強引に好転させる術を持っているから、頼れる存在になっていくわけで、怒りも使いよう。

でもたぶんどこにも使えないのが、“哀しみの顔”だ。かつて泣き顔女優がもてはやされた時代もあったが、今はぐずぐずした悲観的な女がいちばん疎まれる時代。不幸がこっちにも移ってきてしまいそうだから、この幸せ願望の強い時代は、明らかに人を遠ざける。だから最低でも、不幸を背負ったような“哀”の顔にだけはなってはいけない。

さて、もう一度聞こう。あなたは、どんな顔の女として生きているのか。逆に私の人生どうもうまくいかないというなら、それは、鏡に映らないもうひとつの顔のせいかもしれない。いずれにしても女はふたつの顔を持っている。それを自覚することから始めよう。

ところで喜怒哀楽の激しい女は是か非か?

“喜怒哀楽の激しい女”という表現、必ずしも良い意味には使われない。何かエキセントリックな、自己のコントロールがヘタな女というニュアンスを含んできてしまう。でも本当にそうだろうか。感情表現の豊かなこと、いやそれ以前にさまざまな感情をきちんと持てること自体、悪くない。無感動で不感症の女よりよほど魅力的だし、よほど幸せだ。

まず、喜びを表現できない女にはいちばんなっちゃいけない。プレゼントをもらって高揚できない女は人をあちこちで落胆させまくっているから、まず幸せになれない。一方、プラスの感情をちゃんと持っていれば負の感情を持つことだって許される。基本“楽”で生きつつも、時々ホロホロ涙を流すって、人間らしくていいんじゃないかと思う。

たぶん”喜怒哀楽の激しい女”のイメージを悪くしているのは、“怒”なのだろうが、この“怒”も、今はむしろ不可欠な要素になった。ただし自分のために怒るんじゃない。あくまでも世のため人のために怒る女が新しく眩しい。正義感で本気で怒れる女が、今オフィスでもいちばんモテる時代なのだとか。そういう意味での“怒”なら、激しくても結構。つまりこの“怒”の取り扱いだけ注意すれば、喜怒哀楽の激しい女は男たちにとって新しい理想。ましてや死ぬときに人間はみんなこう悟る。笑った回数と泣いた回数が多かった人ほど、幸せな人生だったって。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

Serial Stories

連載・シリーズ