
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
自分を好きになりすぎる…… 自分しか愛せない…… 別れる理由としてそれは正当だ。
ついに日本も、3組に1組が離婚するという国になった。よく考えるとすごい確率だ。私たちはこれまで、“芸能人はすぐくっついて、でもすぐ別れる”と思っていたが、今やむしろ芸能人の離婚率を一般人が上回りそうな勢い。ふと、“なぜだろう”と考えた。まず浮かび上がるのは“自分好き”の時代ということ。芸能人同士の離婚が多いのは、言うまでもなく両方が“主役”で、お互いが自分を中心とした家庭を作ろうとするから……一般人同士にも同じような意識が生まれているのではないかと。
女もちゃんと経済的な基盤を持ち、ひとりでも食べていけるし、夫より収入が良かったりするケースも多々あって、当然と言えば当然。そこに“自分大好き”というファクターが加わってくると、それこそ“自分の世界”の領域争いが起きてくる。いや、“自分好きであること”そのものには、何の問題もないのだ。でも、“相手より自分のほうが好き”ということが前面に出てきてしまうと、やっぱりまずい。もちろんみんな、究極的には“自分がいちばん好き”なのだけれども、生涯のパートナーに関しては、どこか心の一部分でも自分以上に好きなところがないとまずいのだ。“結婚できない女”には逆に“自分大好き”の人は少ないという。自分を正しいと思いすぎるきらいはあっても、いわゆる自分大好きのタイプではない。だって、自分好きなら、幸せな結婚に自分を早く持っていくことを優先し、そのためには努力も惜しまない。相手への妥協だっていとわないだろう。だから、自分好きは多くが早々と、比較的“良い結婚”をしているものなのだ。
ふつうは、“結婚生活”自体が期待通りのものにならなくても、より“相手を好き”という気持ちがあれば、それで心が埋まってしまう。みんなそうやって納得してきている。自分の人生の選択を、これで良かったと思える“落としどころ”は、最後の最後で一部分でも自分よりも相手のほうが好きと思えること、そこだと思うのだ。
ところが“自分大好き”は、望んだものをくまなく相手が与えてくれ、なおかつ自分が十二分に愛されていないと、“イメージした結婚と違う”と思ってしまいがち。だから自分好きすぎると、かえって人は幸せになりにくい。相手より自分を好きなことが、別れを言い出したり、別れを切り出される理由の筆頭にあげられてしまうのだ。 逆を言えば、“自分しか愛せない男”とは別れていい。一緒の時間が増えていけばいくほど、女は深くキズついていくからだ。
もっと言うなら自分しか愛せない、一緒にいても相手を見ていない男と別れるのは、別れる理由として何か唯一“正当”であるような気がするのだ。ただしそういうタイプかどうかを早い段階で見極めるのは、けっこう難しい。さっきも言ったように、“自分好き”は自分の幸せに対しては貪欲で、自分がイメージしている幸せを形づくることには、努力を惜しまないからだ。しかも、“自分しか愛せない男”は“自分しか愛せない”ってことに気づいていない。ちゃんと人を愛せると思っている。だから恋愛におけるプロセスのひと通りが終わらないとそれが見えてこない。でもある段階で、あ、この人私に興味がないのだと気づく瞬間があるのかもしれない。そのイヤな予感を決してやり過ごしてしまわず、相手が自分のほうを本当に向いているのか、ちゃんと見極めること。
昨年も、いろんな“別れ”があったけれども、何かいちばんあっぱれだったのは、フランスのサルコジ大統領夫妻。もともと、知人の結婚式で、“花嫁”だった人を妻にして、でも結果的に両者不倫の末に別れて、それぞれにすでに新しい恋人がいる、という驚くべき恋愛カオス。すぐくっついて、すぐ別れてしまう、まさに一見“自分大好きカップル”のように見えるけれど、彼らはむしろ、自分の人生そっちのけで恋愛してしまうタイプなのじゃないか。つまり長くは続かなくても、本気で恋をする。身も心もその恋に注ぎこんで、政治家としてありえないほどの背徳的な恋もいとわない。フランスは、それを許す国だからいいのだという見方もあるが、自分の地位とか名声とか評判をも省みず、恋に走っていくってところに“自分好き”の冷たさは感じない。その場その場ではきちんと恋をしている。燃えるような恋をしている。ひょっとしたら命がけで……。その瞬間瞬間の幸せや生きている手応えは、“自分好き”が決して味わえないものだと思う。早い話が、自分以上に誰かを愛せる心があること、それはやっぱり幸せの絶対条件のような気がしたのだ。
不倫や浮気がいいなんて絶対言わないが、人を愛せない、自分しか愛せない女として生きるよりは、そして人を愛せない、自分しか愛せない男と生きるよりは、心底“人を愛すること”を選んでほしい。それが幸せに生きる大前提なのだから。
別れる理由が、他人にわからない別れ方がいい
2007年度に別れてしまった大物カップルに、浜崎あゆみと長瀬智也が、宇多田ヒカルと紀里谷和明がいる。何だかずい分昔のことに思うのは、“すったもんだ”もなければ、妙な記者会見もない。じつにスマートな別れ方をしたからなのだろう。
そもそもこの2組のカップル、一体何で別れてしまったのか、未だによくわからない。大スター同士の別れは誰が考えても、お互いが主役だったからでは?となるけれど、このカップルにはそういうことも感じない。かと言って“不可解な別れ”、“不思議な別れ方”をしたわけでもない、きわめて静かに淡々と大人同士が納得の上で離れていったという印象。もちろん実際はドロドロだったのだろうが、それが一切におってこない。でも分別ある大人同士の別れって、本来そういうものじゃないのか?
男の浮気が原因、いやじつは女も浮気してた……みたいなカップルはやっぱり底が見えている。大物の男女はなぜだかよくわからないけれど、世間を自ら騒がせることなくいつの間にか別れているものなのだ。それって男も女も人間がけっこうできあがっている人ってことを物語ってはいないか?もともとできあがった大人同士の離婚理由なんて、他人にわかるわけないし、他人に言うものでもない。だから曖昧なまま謎めいた別れを遂げる者たちは、別れてなおわずかも評判を落とさない。だから彼らの勝ちなのである。
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23