
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
「どんな女性がいい?」と聞くと、案外多いのが「頭のいい女性」。 そう、賢い女は相性を作れるのだ。
「女は愛されるために生きている」「女の運命は、愛される量で決まる」そういう意味合いの格言は、挙げればキリがないほどあって、女はよくよく“愛されるための生き物”なのだって思い知らされる。でもどうしたら愛されるのかわからないから、まずはいちばんわかりやすい美貌を作っておこうとするが、美貌にはその瞬発力はあるけれど、耐久性がない。
じゃあ、愛され続けるために不可欠なものは何か?優しさ、強さ、可愛らしさ、穏やかさ、明るさ、でもやっぱりどれも決め手に欠ける。たぶん女はどこかで知っているのだ。愛されるも愛されないも、結局は“相性”なのだって。同じ自分を愛してくれる男もいれば、愛してくれない男もいる。だから、愛してくれる男と出会えるかどうか、そこにすべてがかかっているのだって。
それはある意味正しいが、でも“相性”も幸せと同様、探すものじゃなく、自分で生み出すものと考えてみてほしいのだ。相手によっていちいち自分を変えようと言っているのじゃない。ただ、放っておいても愛してくれる相性のいい男なんてゴロゴロいるわけじゃない。だからせめて歩み寄るのである。ほんの少しのところで良い相性を逃しているケースってじつは少なくないからである。つまり重要なのは、相手を読む能力。空気が読めないと、社会において疎まれるが、相手の心を読めないと、人生においてちゃんと愛されないということ。
たとえばだけれど、一緒に飲んでいて、ちょっとした口ゲンカをした時、「私、帰る」と店を先に出てしまうとしよう。世の中にはすぐに追いかけてくる男と追いかけてこない男がいる。追いかけてこないどころかそのまま帰ってしまう男がいる。となれば、“相性は最悪だった”ということになるが、どこまでも追いかけてくる男とは、夜の街角で愛を確かめ合っちゃったりしながら、これは運命の出会いかもしれないと思うことができる。追いかけてくるかこないかで、ものすごい違いである。ものすごい違いだが、たぶんあなたはどちらの行動もとれるのだ。同じようにムッとしたとしても、店にとどまり自らがカワイく「ごめんなさい」と言って、争いを収拾させることもできるし、プイッと我がままっぽく出ていって、彼が追ってくるのがわかってから足早になることだってできる。女は両方できるのだ。たぶんどちらもできるからこそ、この男はどうしたら心が通じる相手なのかを即座に読み解くべきなのだ。
そういうふうに、付き合い始めはもちろん、恋愛中はつねに相手の心の細かい動きや、何をやったら心が通じて、何をやったら通じないのか、それをつぶさに読み込むべきである。相手にいちいち合わせるのでも、男好みの女になるのでもない。心を読んで、ツボをおさえるだけ、要所要所で相手と心のすり合わせをするだけ。それだけで、女の愛され度も5割アップはかたい。考えてみてほしい。愛される男も、何か特別なすごさがあるわけじゃない、何かの拍子にすっと心に入ってくる。すっと心が通う人。
そして心を読むためには、それなりの“賢さ”が必要。同じ我がままでも、愛される我がままとあきれられる我がままがあるのも、ちゃんと相手の心を見ながら我がままができる知性の有無、その差であると思う。同じ尽くす女でも、愛される女とうっとおしがられる女がいるのは、単純に心の読み込みができる女かどうか、知性がある尽くし方がどうか、そこにかかっているのだ。
夫になる人を、「もう、好きで好きで……」と言って憚らなかったのは、芸能界一“頭の回転が速い女”との呼び声高い小池栄子。その地アタマの良さゆえか、のろけまくった結婚会見でも世間の好感度は異例の95%越えとも言われた。片思い→押しかけ交際→粘り勝ちで結婚までこぎつけたのも、ちゃんと相手の心を読みつつ可愛く追いかけた勝利。“賢い執念”ってあったんだ。この人やっぱり頭いい。前のページで“幸せ”は瞬間のもので、継続するかどうかは別の話と言ったけれど、小池栄子の幸せは、半永久的に続くと今から確信できる。そこに女の知性を感じるから。
「どんな女性がいい?」と聞いて、案外多いのがこの答え。「頭のいい女性」。言うならば、まっとうな男ほど、女も“賢さ”で選ぶのだ。考えてもみてほしい。賢ければ、たとえ今はどこかが明らかに“間違っちゃっている女”も、自ら軌道修正していくことができる。同時に、賢ければ相手との相性を5割から8割まで引き上げることもできるはずで、頭のいい女は、なんとかかんとかして愛されてしまう術を持っているのである。だから結論。愛される女は、最終的に頭のいい女。そして頭のいい女は、放っておいても一人の人にちゃんと愛されようとする女。裏を返せば、賢い女は、一人の人をちゃんと愛せる“女”だけが愛されるって、ちゃんと知っているのである。
愛される女は、ますますもっと愛される
ヒットしている映画はもっとヒットする、ベストセラーの本はもっともっとベストセラーになる。今はますますそういう時代。同じように、“愛される女は、ますますもっと愛される”。恋人がいない時は、いっくらもがいてもモテなかったのに、彼氏ができたとたんに、あっちこっちから言い寄られてしまう。一体なぜ?あなたにもきっと覚えがあるはずなのだ。「最近、彼氏できました」「今、私、愛されてます」と顔に書いてあるわけでもないのに、いや、じつは書いてあるのかもしれない。別に彼氏がいない時に物欲しそうにしているわけでもないし、できたとたんに余裕をかますわけでもない。けれど、愛されてる女は、愛されていることで生まれる充足感や幸福感がそのまま形ある魅力となって、目に見えているのだろう。
少なくとも、幸せな結婚をした女優は、必ずその場で株があがる。そこでの支持はたぶん女性たち、すなわち同性のもので、いい結婚ができた女に、女はそれ相応の敬意を払うから。でも男の場合はもっとその女の内面から湧き出てくるしっとりしたツヤめきみたいなものに本能的に心惹かれ、いわゆる“人妻”に見るフェロモンを感じ取るからなのだと思う。だから愛される女は、結果として男にも女にも愛される。その好循環をつくることが、やっぱり女の幸せ、そういう結論になるのだろうか?
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23