
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
“百年に一度の不況”は、美の基準も少なからず変え、そのタイミングに合わせるように“新生・藤原紀香”が姿を現した。そう、これこれ、これなのだと思った人は少なくなかったはず。つまり、存分に美しいのだけれど、ちゃんとスネにキズをもち、でも不幸感を漂わせずに頑張っている……このバランスこそが、今この微妙な時代にいちばん眩しく見えるのだと。
確かに、プチバブルの時代のただ中では、すべてを手に入れた女のほうがやっぱり輝いて見えたけれども、今はもうハッキリと人々の意識が変わり、10%か20%の不幸感みたいなものを体のどこかに隠しもっていないと、逆に人として薄っぺらく見えたりする。しかしその不幸感をそのまま抱え込んでいてはいけない。それを手際よくはねのけていこうとする女がいちばん光を放つ時代なのだと思う。苦悩やあがきも含めて、不幸から抜け出そうとする女が光るのだ。竹内結子や広末涼子といったバツイチ組が今いちばんキラキラしているように。
そういう意味でも、“あの報道”は大いに共感を得た。他でもない、夫の浮気を確かめるべく、ケータイを盗み見たという妻の行動。一説に、女性の4割は恋人なり夫なりのケータイを定期的にのぞいているとされるが、実際はもっと多そう。嘘をつくのはもちろんそこに罪の意識があるからだが、男の裏切りから身を守る方法はそれくらいしかないのは確か。あんな大物女優でさえ、同じ手段をとったこと、それをどこかで誰かに正直に明かしたこと、そして何よりそれによって得た確信で、結果的には離婚を決断したこと。たぶんそこには3つの共感があったはず。
そう、女たちはわかっているのだ。こっそり見続けて、ただジクジクするだけではいけないが、真実を知り、キッパリ対処するためなら許される正当防衛なのだと。疑惑を確信に変える時にだけ覚悟を決めて1回ないし2回。が、3回以上見るとクセになり、そのたびに相手を責めるようになると、女はやっぱりどんどん醜くなる。だからそういう見方はタブーだと。
見なければ“間違った人生”を訂正するすべがない。だから“正解”を知るためなら見ていいと。見る?見ない?何かモヤモヤしていたその是非が、今回のことでハッキリした気がする。人生を正し、前へ進むためなら、最低限見ていいのだという、そのルールをつくってくれたことは、日本の女の幸せにどれだけ大きく貢献することか。“逆転格差婚”もありと、身をもって教えてくれた人が、今度は不幸の切り抜け方も教えてくれた。そうやって、時代に応じて迷いを晴らしてくれるからこそ、不幸をはねのける女は尊いのである。まさに、酸いも甘いも噛み分けた女の美しさが、いちばん光る時代がいよいよやってくる。
「こっそり見続けてジクジクするのはタブー。でも真実を知るための、1回ないし2回は正当防衛」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23