
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
突然だけれど、あなたには“ライバル”がいるだろうか?いない、と即答できた人は、いかにも清々しい日々を送っているはず。逆にライバルがすぐそばにいる人は、気持ちの休まるヒマがないはずだ。それこそ“宿命のライバル”がいる人なんて、時に見ているほうまで辛くなる。ことあるごとに胸が痛くなるのは、他でもない浅田真央vs.キム・ヨナというライバル対決。
でもキム・ヨナはインタビューに答えて、「真央がいたから強くなった」。それもまた揺るがぬ真理で、ライバルがいるといないとでは、成長の度合がまるで違う。辛い分だけ、悲壮な分だけ、人は伸びてしまうのだ。じゃあ、あくまでライバルの存在を見ないようにしていたとしたら、どうだろう。どちらが結果を残すのだろう。当然のこととして、自分の演技に没頭できるほうが強いに決まっているが、心の中でライバルの存在を追いだしきれないのなら、ライバルの存在を認め、ハッキリ勝ちたい、と思えたほうがやっぱり強い。ライバル競争とはそんなもの。逃げるより、戦ってしまったほうがいっそラクなのだ。
しかし多くの場合、ライバル関係は周囲が作ってしまうもの。競技前の練習の時に日本のライバルに邪魔されたと、キム・ヨナが言ったとか言わないとかいう噂も、実際は「日本選手、なんてひと言も言っていない」というが、そのほうが面白いと思った人がいたのは確かで、世の中は突出した二人を見ると、むやみにライバルに仕立てたくなるものなのだ。人は人を競わせたいのである。ただ今回のケースは、“疑い”をかけられ、大きな試合にも負けはしたけれど、最終的には真央ちゃんの勝ちと見る見方もある。ライバル関係は、結果的に敵意をムキ出しにしたほうがメンタル的に負けなのだから(あくまで噂の真相は謎のままだが……)。世間がライバルライバルと騒いでも、本物のライバルはそれに乗せられてはいけないのである。
特に、美人が二人いると、周囲は勝手に二人をライバルと位置づけ、「自分のほうがより美人って思ってるでしょ?」と決めつける。仲悪いでしょ?とからかう。それはひょっとすると何らかの優れたものを持つ二人に対する世間のやっかみなのかもしれないが、それだけに二人が本当に憎しみ合わず、素直に切磋琢磨し、エールを送り合っていると、逆に世間は妙に感動する。とても尊い二人としてあがめたりもする。ライバルを持たされることは、人として二段三段上がるための試練なのかもしれない。
どっちにしろ、ライバルがいるのは優れた者だけ。何も持たない人にライバルは存在しようがない。それは力のある証。ライバルがひとりもいない平和よりも、はるかに女を輝かせる。だから一瞬も気を抜けないライバルのいる人生を、いやでも強いられる女が美しいのだ。
「ライバルは優れた者だけに許された証。だからライバルのいない平和より、いる人生!」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23