
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
ただの美人と、特別な美人……女たちにはあんまりよく見えないその境界線、男たちの中ではくっきり分かれてるという話をしよう。どんなに美しくても“ただの美人”に男たちはそれほど反応しない。美人で良かったね、くらいの反応しかしない。ところが“特別な美人”にはそれこそその人の前で本当にひれ伏すのではないかというほど、動揺とも興奮ともつかない激しい反応を見せる。その違いは何なのだろう。 その“特別な美人”とは誰かと言ったら、今で言うなら滝川クリステル。 元祖と言えるのが、先ごろ53歳でなくなった頼近美津子さんだろう。
その人は、“美人女子アナブーム”の先がけとして、NHKにいたところを3年でフジテレビから引き抜かれ、でもすぐにのちのフジサンケイグループの会議議長に見初められて寿引退。議長夫人におさまるが、4年後夫が急死してしまうという、とてつもない波乱に見舞われた。そういう意味でも“伝説の人”なのだが、同時に美貌そのものが伝説となった数少ない人。
もちろん同時期を生きた女優やタレントの中にはすごい美人がいっぱいいる。でもこの人だけが特別だった。どう“特別か”と言えば、いい大人の男がその人と目を合わせただけで頬を赤くしてしまうような。緊張してうまくしゃべれないような。一般の視聴者男性までがその人の話をする時、勝手に照れてしまうような。その反応は、明らかに他の美人には見られないものなのだ。そう言えば、滝川クリステルとこの人はよく似ている。顔だちも佇まいも、ショートヘアでここまで華がある人はいないという点でも、宗教画の中の聖母マリアがこんな顔だちをしていたという点でも。そこには“憧れ”と同じくらいの量の“尊敬”がある。人は、目に見える“品格”と“知性”から、ある種の人間のランクみたいなものを勝手に測って勝手に敬ってしまう生き物で、だから“マリア様顔の知的美人”にはよく知りもしないのに、尊敬含みの憧れをもってしまうのである。
でもここまでなら“伝説”にはならなかったし、世紀の玉の輿と騒がれたような見初められ方もしなかったのだろう。“特別な美人”に不可欠なのが、そびえ立つほどの品格と、しっとりした色気のまれにみる両立。聖母マリア顔と、官能的な女の顔の高次元での融合。ここがじつはもっとも難しく、めったやたらには両立しないものなのだ。ちなみにその“品格”と“色気”の両方を高レベルで表現できるのが、じつは声。ツヤのある声質と、たおやかで上質な発声法……だから特別な美人には、どうしても美人アナウンサーが多くなるのだ。ともかく男は、「この人に自分の子供の母親になってほしい」、みたいなことを想う性であるのは確か。だから妻と母と女と人と、いずれにも高級感を見せるはずのこういう人に、男は憧れ続けるのである。永遠に。 その人亡きあとも。
「聖母マリア顔なのに色気もちゃんとあると、男は女を尊敬すらする」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23