
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
非モテ……耳慣れない言葉だが、それ以上に、ありえない発想。“別にモテなくていい”という、不可解な意識の芽生えを、ありのまま言葉にした新しいキーワードである。数年前まで、モテ服、モテ髪、モテ顔と、何でも“モテ”を前提に考えてきた反動だろうか? 確かに“モテなくても別にいい”と思うと、何となしに気がラクだ。ひょっとすると“非モテ”は、女にとっていちばんの“癒し”になるかもしれないと思うほど、身も心もラクになる。ただその瞬間、いきなり女のワクを解き放たれ、脱力するから実際女は立派にモテない女になっていく。モテなくてもいいと思った瞬間に押し寄せる脱力感は、本当に驚くべき効力があるのだ。
逆を言えば、何となくでも“モテたい”“モテよう”という想いが、じつは大きな大きな歯止めとなって、女を土台から支えているということを思い知る。そのタガが外れたとたん、女は思いもよらない自分へ体ごと持っていかれるのだ。それ以前に、女はここで完全に2種類に分けられていく。“モテる女”と“モテない女”に。これはもう、幼稚園の子供から60代まで一緒。女の側から見れば、男たちもその2種類に、残酷なまでに白黒はっきり分けられているのを思い出してほしい。女も同じ、顔に○と×が書いてあるように明快な分類がなされ、一度どちらかに所属したら、ずっとそのどちらかで生きていくしかないのである。極端な話、これは既婚未婚とも関係ない。モテなくても結婚はできるし、モテても結婚しない女はいくらでもいる。
だからこそ、モテのブームから一転、モテたってそれが何になるの? 人生における無駄じゃない?という発想になったのかもしれない。でも2種類しかない現実は、あらためて重く受け止めるべきだと思う。特に問題にしたいのは、キレイでいたいけれど、別にモテなくていいと考える人がいること。それは基本的に成り立たない組み合わせ。非モテ美人は、やっぱり存在しないのだ。
別に実際、モテまくらなくてもいい。しかし、妙な提案に聞こえるかもしれないけれど、女は最低二人の男に愛されたい。たった一人に愛されればいいという考え方ももちろんある。けれど二人に愛されるのは、そのまま人生の幅、人の奥ゆき、そして女性としてちゃんと魅力的であることの動かぬ証になると思うから。女は究極、二人の男の間で揺れ動いていてこそ、女が磨かれるのだ。“モテる女”に所属すると、必ず最低二人は男が現れる。女の人生は、そういうふうにセットされているのだ。そして二人の男の間で揺れ動いて初めて、女は女としての自信とプライドのバランスが取れてくる。これが“非モテ女”の道を選んでしまうと、自信はないのにプライドだけが高いバランスの悪い女になっていく。だから、やっぱり女は二人の男に愛されなければ。非モテはいけない。
「”非モテ”の道を選んでしまうと自信とプライドのバランスが悪い女になっていく」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23