
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
日本で“恋多き女”というと、今や柴咲コウとか北川景子あたりになるのだろうか。少なくとも噂になる男性の名前が時々変わる。もちろんそれだけで“恋多き女”にするのは少し乱暴なのかもしれないが、彼女たちが男にモテるのは間違いなく、モテるからゆえの“恋多き女”には、やっぱり他の女優たちとは違う、“何か”がある気がする。言うまでもなく、ハリウッド女優の恋愛遍歴は、ハンパじゃない。日本の“恋多き女”などまったくカワイイもので、彼女たちは本当にめまぐるしく恋人を変え、時々結婚したり離婚したりする。
スカーレット・ヨハンソンもケイト・ハドソンもキャメロン・ディアスも、みんなどしどし新しい恋をしていて、しかも仕事ものっているので本当に忙しい。彼女たちにとって、恋愛は息をするくらい当たり前のことで、結婚も“盛りあがった結果”に他ならず、慎重に吟味した結果でないのは明らか。多分に“動物的”ではある。しかし、恋愛の回数分だけ、人生が濃厚になり、だから若くしてゴージャス、厚みのある美しさや独特な色気を、早いうちに確立させてきた。柴咲コウも北川景子も、日本の若手女優の中ではとりわけゴージャス。実際の恋の回数は不明だが、ちょっと気持ちを盛りあげればすぐに恋になるという入り口はともかくたくさん持っていて、つねに恋になるかならないかの境界線上を歩いている危うさが、若くしてゴージャスな女をつくるのだ。
逆から見れば、今“恋多き女”が減った背景には、人にあまり興味がない女が増えたことがある。確かにそう。“男ギライ”というのではない。おそらく“人ギライ”なのでもない。もっと単純に、他人への関心がないのである、だから、恋愛に必要なエネルギーも湧かなくなっている。その分のエネルギーが、ほとんど自分自身に向けられているから、なおさら恋愛にならないのだ。だいたいが人に関心のない女は、どんなにキレイでもモテない。恋愛ができないどころじゃない。人が近寄らない。人を引きつける引力は、こちらが相手に関心を持つことから生まれるからだ。自分から矢印を出さなければ、女はどんどん薄っぺらく小さくまとまっていってしまう。
ここで分けておきたいのは、恋愛そのものにエネルギーを惜しむのはかまわないが、“他人への関心”を失うことはあまりにも危険ということ。人への関心を失うことは、言いかえれば、世の中の出来事に対して何らか心を動かしたりすることさえなくなるわけで、人にとってそれがいちばんコワイ。この人スゴイ、素晴らしいと、自分以外の誰かに感動することが、人に厚みをもたらし、人間を進化させるのだと言い切れるから。“物”ではなく、人に感動しないと何も身にならないということ。少なくとも、人に関心を持って生きているという意味で、“恋多き女”は、今いちばん魅力的にうつるのである。
「人に関心のない女は、恋ができないばかりかいくらキレイでも絶対モテない」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23