連載 齋藤薫の美容自身stage2

何を今さら”女子会”の深層心理 そもそもなぜ、女子会なのか?

更新日:2020.10.08

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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「今日は“女子会”なの」と家族に言って外出する自分に違和感をもち、一抹の恥ずかしさをもったという人がいた。確かに、“女だけで集まる飲み会”など昔からみんなやっていたこと。数年前までは単に「友だちとゴハンしてくる」と言ってたのに、なぜ今わざわざ“女子会”と呼ぶのか?そもそも女たちが自分を“女子”と呼ぶのも、自分は“女”と呼ばれるほどギラギラした女じゃない、“女性”と呼ばれるほど女らしくもない、“女の子”と呼ばれるほどナマやさしくもない。だから10代後半までの“単なる性別”にすぎなかった女子……その感覚はごもっとも。

ひょっとすると“合コン至上主義”の時代に“女”を一生懸命にやりすぎて、ほとほと疲れてしまったのかも。合コンでの女たちは“女性”を要求されたり“女の子”を要求されたり、またその通りに自分を作りかえる女もいたりして、“ザ・女”をやっていることに嫌気もさしてきたってことなのじゃないか。だから男を排除したことを、あえて強調するための“女子会”。自分たちはもう合コンに振り回されて、“モテ”を狙う女じゃないことも同時に示すために。もう“モテ”を意識せずに、自分の着たいものを着て、塗りたい色を塗る、まったく自由なオシャレをして集まって、しゃべりたいことをしゃべるぞという宣言なのだ。

でももうひとつ、その意識の奥には明らかに女の進化がある。女はこの数十年間の間に、完全に“社会進出”を果たし、男並みに働き、厄介な人間関係も体験した。合コン三昧で、実際の恋愛経験以上の男をつぶさに見て、いつの間にやら男たちの生態をかなり正確に把握し、一方で女同士さまざまに“牽制”し合ったり出し抜いたり、女の生態もまたかなりの精度で知ってしまう。

だから女たちは、数十年前とは比べようもないほど、女として賢くなった。空気も読めるし、人間も読めるようになった。“女”という響きには子宮でモノを考える本能的な女のニュアンスがあるが、女子は“頭でモノを考える女”だという自負がある。そして“女子会”も“他愛”ないおしゃべりとは違う、男のことも女のことも、芸能人も、社会も、ロジカルに評論できる場だというプライドが名づけた名。食べ物の話でも“どこどこがおいしかったよ”だけじゃない、解説がくっつき分析もくっつく、それはもうおしゃべりじゃなく、“話し合い”の域。知的レベルの高い女ほど、“女子”の言葉にこだわる理由もたぶんそこにある。

“女子会”が不発に終わることもあるのは、理論もない、意見のキャッチボールもない、話し合いにならなかった場合じゃないか?だから“女子会”へ行く時の心得は、「私が私が」とおろかな主張はしないこと。オチや理屈のない話はしないこと。でないとあんたは“女子”の風上にも置けないと、眉をひそめられてしまう。女子の世界もなかなか厄介。女子は女子でけっこう疲れるのである。

「知的レベルの高い女ほど自分を”女子”と呼びたがるから厄介なのだ」

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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