
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
何らかのスキャンダルに見舞われた時、女優は自分が好かれているのか嫌われているのか、初めてその現実を知ることになるという。昔のように“嫌われる女”の象徴であった“媚を売る女”は今、激減したから、女が“嫌われる理由”がどうにも見えにくくなっているのだ。でもそこをあえて突きつめていくと、ひとつのキーワードが見えてくる。“自信”である。不倫スキャンダルで非難の矢面に立たされた「クイズの女王」は、とばっちりで名前が出されたにすぎないのに、結局悪者にされけっこう分が悪い。それも日頃の“自信”のせい?今どき自信のない女は魅力もないから、自信はちゃんとあってほしいが、問題は“自信の見え方”。“自信満々”に見えてしまう女は、思わぬ所で抵抗に合うのだ。
もちろん自分の能力を知っていれば、とても自然に自信は生まれる。ただそれは人に見せる必要のない自信。本来、“自信”というものは何者かと戦う時、何かに挑む時、心で負けないように自分の能力を信じるためのもの。動物は反射的に“敵”に自分を大きく見せるが、自信をわざわざ人に見せるのはそういう時だけでいい。真に優れた人間は、見せなくても勝てるから見せないものなのだ。
しかし、人間同士、見せなくても何となく見えてしまうのが自信。そこで過度の自信が見え隠れする人には、何か近づきたくないと本能的に思ってしまう。いくら完璧でも100%の自信などもてないのが人間。どこかで自信がない、意外なところで自信が欠落してる、そういうあたりでこそ、人は人に共感ができるのだ。“そうだよね、不安だよね”と。そのへんのバランスが素晴らしいのが、たとえば極端な例だけれども、石川遼クンの自信。今なお10代ながら今のところ“非の打ちどころのない男”。彼の中にはとても自然な自信がちゃんと備わっているのを何となく感じるが、一方でちゃんとした大人の不安もぼんやり持っていて、7割がたの自信しか見えない。満点なのに7割しか自信がないところに人は好感をもつのである。そう、自信たっぷりでもいい人が、意外なほど自信がない、そこに人は共鳴し、好きになるのだ。
ことに“女に好かれる女”はみんなそう。かつての中山美穂も、安室奈美恵も、エビちゃんも自信たっぷりでもいいのに、程よく自信がない、何だか不思議に少し不安そう。逆に“女に嫌われる女”のトップを走る人は、カメラの前で何度涙を流しても、自信満々がそっくり見えてしまうから本当の支持はどうしても得られないのである。その人の才能や魅力と、その人から何となく湧き出てくる“自然な自信”の量との比率が10対7くらいである人が愛される。これは時代がどんなに変わっても、変わらない。“自分好きな人”ばかりの時代もそこは変わらない、70%の自然な自信……それが人の自信の黄金比なのである。
「満点の女なのに7割しか自信がないところに、人は共感をもつ」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23