連載 齋藤薫の美容自身stage2

「女は思い出と生きられるのか?」 “思い出愛”の嘘とホント

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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小説にしても映画にしても、ケタ違いの大ヒットとなるものには、絶対の共通点がある。それは、“思い出愛”をテーマにしていること。いわゆる“セカチュウ”は高校時代に亡くなった“恋人”の存在を、大人になってもほとんどそのまま心の中に住まわせている男の話だったし、ひと昔前の世界的ベストセラー『マディソン郡の橋』は、たった4日間だけをともにした中年男と平凡な主婦が、それ以降は一度も会わずにお互い死ぬまで強く愛し合ったという“思い出愛”の典型的なストーリー。いずれも超純愛小説としてロングセラーになったが、その理由は“純愛”だからじゃなく、呆れるほど長い間、もう成立しない恋に身をやつすから。ただの一途じゃない。決して結ばれない相手を思い続ける、言ってみれば無欲の愛。無償の愛よりもっとピュアで不器用で、ありえない話だからこそ、人の胸をいたずらに打ってしまうのだ。

でも実際こんな人がいた。ひとりは、30代後半で独身。20代の半ばから4年ほど付き合って、結婚の約束もしたのに、結局別れてしまった男のことを今も思っている。「今も好き」とは言わないが、人生に関わる話になると必ず彼の話になり、何でも“彼の話”にすり変えていくほど、今も彼のことで頭がいっぱい。未練があったとしても、なかったとしても問題だ。ちなみに“彼”はもうとっくに結婚している。一方で、こんな人もいた。結婚して20年の夫婦は一見円満に見えたが、妻は高校時代に付き合った男のことを探していた。本当は彼と結ばれるべきだったのだと思っているらしい。だからって、何も変わらないとわかってるのに。

どちらもリアルな“思い出愛”だが、ピュアで感動的だなんて思えない。“思い出愛”に生きることは、今の自分と未来の人生を否定し、当然のことながら、今の人間関係への裏切り。もっと言うなら、ちょっと不健全な気がした。“思い出愛”は、ともすると自分の都合が良いように過去を美化し、脚色し、今との対比に使われる。現実逃避や、誰かの否定に使われるのだ。

しかも“思い出”は誰にも否定されないし、誰も正してくれないから永久にそのまま。思い出は文句を言わないし、自分が傷つかない。だからいつの間にか、自分を守るために“思い出愛”を盾にして生きてしまう。でもまったく“ひとりよがり”の愛は女を傲慢に見せるだけ。人生が進んでいかないし、到底幸せにはなれない。そう、“思い出愛”に生きる人は、一見思い出だけで幸せってふりをしているけれど、このままでは幸せにはなれないから不健全に見えるのだ。女はみんな、幸せを素直に求めるから美しく見える。そこから逃げている人が美しく見える道理はないのである。“思い出愛”は嘘。所詮、お伽話だから人を感動させるのだろう。ともかく“思い出”は普段ぜったい忘れているべき。忘れていないと未来はない。

「”思い出愛”に生きる人は、素直に幸せを目指していないから少し不健全。」

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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