
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
2011年、兎にも角にもいちばんブレイクしたのは、“芦田愛菜ちゃん”。わずか7歳で、こんなに世の中の仕組みや人の心の機微がわかるはずがないと、不可解に思うほど賢く、物の道理がわかっている。でもだからこそ強く願うのは、どうかこのままのテンションで世間が彼女を支持し続けてくれということ。いや、ブレイクはやがておさまる宿命にある。でも、AKB人気が沈静化するのとはワケが違う。この幼い少女にもしもその時が来ても“人生のピークがもう過ぎちゃった”などという喪失感は決して持ってほしくはないということ。マスコミの求めに応じて、必死に笑顔をつくる“いたい気な少女”にそんなことを思わせたら、世間は罪深すぎる。
もちろん“人生の長さ”も学んでいるのだろうから、もしも何らかの喪失感を感じても一過性に終わるはずだが、それにしても“早すぎる成功”は 苦悩も多すぎる。“人には2つの不幸があって、ひとつは目的を 果たせぬこと。もうひとつは目的を達成してしまうこと”という言葉を、この手のブレイクを見るたびに思い出してしまうのだ。目的を果たせなくても果たせてしまっても不幸。ならばなかなか果たせぬ目的をもち続けるのが理想の人生ということになるわけで、人生は少しも急ぐことはないのだということを、7歳の少女に逆説的に教えらえれる今日この頃。なかなか叶いそうもない大きな目的を胸に秘めつつ、小さな目的をチマチマ叶えていくのがいいのだと。
でもそう考えると、果たして人生にピークなど必要なのかということになる。実際に今、女にとってのピークの定義そのものも曖昧になっている。まずキレイのピークは20代ではなく、30代でもなく、40代にまで後ろにズレ、50代で結婚して幸せのピークをあらためて迎えることも珍しくなくなった。少し前まで、女たちはみな幸せを慌てるあまり、中途半端なピークをつくってあとは悶々……という残念な展開になりがちだったのだ。ましてや自分の“モテキ”をピークとして振り返ったり、“結婚”自体をピークと捉えたり、どちらにしても女の人生が小さくまとまってしまっていた。一度ピークを過ぎたら、あとは人生のスケジュールをこなすだけという心境になりがちだったのだ。それではどうにももったいない。ピークがあるから、下り坂生まれ、底もできる。人生はできればゆったりの上り坂であってほしいから、いっそ人生にピークはいらないのかもしれない。むしろ意識して、ピークをつくらない生き方をするべきなのかもしれない。
実際多くの花嫁が、結婚式を終えたあと、強い虚無感に襲われる。つまり結婚を一瞬でも、人生のピークと思ってはいけないのだ。愛菜ちゃんも、7歳のブレイクを私のピークと振り返らない人生を送るのが、人生のテーマとなるのだろう。人生にピークはいらない。少なくとも今、女にとって若さのピークはキレイのピークじゃなく、またキレイのピークは人生のピークじゃなく、そしてそれほど長くは続かない幸せのピークも、じつは人生のピークじゃないことを知っておくべき。人生に必要なのは目的をもつこと。目的をもち続ける限り、間違ったピークはやってこない。
「女にとって、キレイのピークは人生のピークじゃない 幸せのピークも人生のピークにしない」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23