
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
ごくたまに“ブスの恋”みたいなドラマがつくられると、そこに描かれるのはもっぱら“女は美しくないと愛されない”、でも“美しい心を持てば、いつかは必ず愛を得られるハズ”というふたつのこと。でもそれ、ちょっと間違っている。女は別に美しくなくても、愛を得られるという現実があることを知っておくべきだ。乱暴に言ってしまうと、男には明快にふたつ、どうしても美人しか受けつけないタイプと、顔の造作には基本的にこだわらないタイプがあるからで、世の中それでなきゃ成り立たない。
今まで一度も男女交際をしたことがないと明言していたブスキャラ芸人が、本当に唐突に“電撃結婚”を発表したりするケースは、枚挙にいとまがない。別に彼女たちが“美しくない”わけじゃなく、自ら選んでそういうキャラでずっと生きてきたから、自分はそうそうすんなり結婚などできるはずがないと踏んでいたのだろう。いや世間の予想も同じ、だから結果として人々を驚かせる。けれども、彼女たちを選んだ男たちにしてみれば、少しも特別な選択じゃない。それが彼らの基準なのだから。愛される上でいちばん大切なのは、やっぱり自分を愛してくれる男を見つけること。結局それだけなのだ。彼が毎日連絡をよこさない、週一しか会おうとしないと悩むのはナンセンス。男にも毎日会いたいタイプはいる。そういう男を選ばないとこの悩みは延々と続いてしまう。人を愛するペースが自分と同じ人を見つければ、恋愛はいともスムーズになり、すべての女は確実に愛されるのに。
しかし、何だかそういうことでも説明がつかないケースがある。何人もの男を手玉に取り、結婚を前提にした“お付き合い”で大金を巻き上げ、その男性たちを死に至らしめたかもしれないと嫌疑をかけられたあの人のケース。ああいう人がなぜそんなに愛されてしまうのか?わかるだろうか?ずばり、良いとこの“お嬢さん”なふりをしたからである。ご存知の通り、あの人は長い髪を巻き、コンサバ服を着て、お料理を学ぶ専門学校へ通うための資金を必要としているという触れ込みだった。もちろん、それだけではない。“お嬢さん”の印象を醸し出す上で“最大の武器”は、透き通った愛らしい声と、ていねいで美しい言葉づかいだったと言われる。
女の印象は、もっと言えば女の本質は、最終的にかなりの割合、“声と言葉づかい”で決まってしまう。上品か下品か、優しいかキツイか、何より知性があるかないか。きちんとした生き方をしているか否か。声と言葉に加えて佇まいが“お嬢さん”なら、女はたとえ美しくなくても、美しく見える。とても単純に、令嬢が集まる女子校出身と言うと、それだけで3割増しくらい美人に見えたりするのを思い出してほしい。上品で知的で、育ちが良さそうというだけで、女は美人印象を宿し、男に結婚したいと思わせる。髪型や服装や、声や言葉、匂いから気配まで五感で感じる“お嬢さん”的要素は、“幸せ”を連想させるから。エレガント=幸せの証なのである。仮に美しく生まれなくても、女はいくらでも愛される。愛される方法も明快。女はもともと全員愛される運命にあるのだし。それを知らずに損をしている人がいてはいけない。愛されるなど簡単なのだ。
「最後の切り札は、髪と服と声と言葉。 “お嬢さんな女”で、幸せを連想させること」
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23