
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
私と仕事、どっちが大事なの?と聞く女。出会って二回目で、私を愛してる?と聞く女。贈り物は、基本的に何でも“手づくり”という女。そして、私は絶対あなたのお荷物にならない、とやたらに強調する女……。男がもっとも警戒する女のタイプだ。言うまでもなく、重たいから。やがて必ず重たくなる女だからである。
そう、女にはもうひとつの体重がある。存在そのものの体重が。もちろん存在は重厚な方がいいに決まってる。でも、一人の男の腕に体重の全てをかけてつかまってはいけない。いや、女はそんなこと百も承知。それでも、知的で有能な女ほど重たい女になりがちだ。映画史上最悪の“重たい女”が、たった一度の情事で相手の妻を殺そうとする、「危険な情事」の有能な女性編集者だったように。エネルギッシュで一生懸命で、勇気もあって緻密。しかもやり遂げてしまう実行力がある女ほど、全てが裏目に出て重たくなりがち。知性と理性は不思議に両立しないから、誇り高い女ほど、じつは危ないのだ。だいたいが“重たい女”って本当は人に一生懸命なのではなく、むしろ自分自身の幸せに一生懸命な女。“愛情”を言い訳にして自分のために誰かに集中し、全体重をかける。それを知っているから男は警戒するのだ。
ちなみに“重たい女”にも2種類あり、男におぶさる依存心の固まりのような女と、手製のお弁当を仕事場に届ける尽くしすぎる女がいるが、どちらも“自分を幸せにしたい”がために重くなる。要は結婚への執着が強い女とも言えるけれど、たとえ結婚しても尚、重たい女は疎まれること、あのドロ沼離婚裁判で注目を集める“T家の別居夫婦”の不毛のバトルに明らか。どうしてもおぶさりたい女と、基本的に女がうとましい男が組み合わさった場合、逆を言えば両者仲良く“自己愛”が強すぎた場合、女は重たくなり、男は無責任に荷物を捨てたくなる。あれはそういう悲劇なのだ。いずれにせよ自分を幸せにすることに憑りつかれた女は必ず“重たい女”になり、でも決して幸せにはなれない運命にある。何という皮肉だろう。
しかし、繰り返すけれど、存在自体は重厚な方がいい。妙なたとえだけれども、シンデレラとか白雪姫とか、お伽話に出てくる美貌のヒロインのもうそれだけで、男にとって“重厚な存在”になってしまう。姿を隠せばいいというものじゃないけれど、自ら男から距離をとり、幸せを放棄する“わからなさ”で相手を惹きつけると、重たくないのに重厚な女になれるのだ。
玉の輿にのる女は、じつは今も昔もそのタイプが多く、ある一流企業の御曹司は、良家の令嬢と結婚が決まりかけた時、遊び半分で付き合っていた“飲食店勤務”の女性が腹もたてずに、「たまにでいいから私のことを思い出して」と、田舎に帰ってしまったことに心を動かし、結果としてその女性を妻に選んだのだという。既成の幸せに欲のない女は、ある種のツボをおさえ、男を感動させてしまうのだ。何と“重厚な女”なのだろうと。幸せに頼らない女ほど重厚に見え、幸せが大好きな女ほど重くなる。それが女の体重のもうひとつの方程式だって、覚えていてほしい。
幸せに頼らない女ほど、”重厚な存在”に見え、幸せが大好きな女ほど重くなる
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23