
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
誰も太りたいとは思っていない。けれどもちょっとでも気を抜くと、たちまち肉がついてくるのは、人間の宿命に近い生理。誰にだって、いつだって、太る可能性はあるし、戻らない可能性だってあるのだから、全員が知っておくべきなのだ、それでも太っちゃいけない人がいることを。
まず、肉の似合う人と似合わない人がいるのは確かで、ズバリ不機嫌な顔に肉は似合わない。肉は機嫌のいい“笑顔”顔にしか似合わない。誰が決めたか、太った人はいつだって機嫌が良く、基本的に笑っている“気がいい人”と、世間が思い込むからだ。男には、アキバ系オタクのように、太っているのに笑わない、いつも難しい顔の男はいくらでもいるが、女の場合はみんな明るい、と。だから“ぽっちゃり”自体はキュートでも、笑顔でないと決して可愛く見えないのだ。従って、にこやかじゃない人は太っちゃいけない。誰とでも分け隔てなく話ができ、誰をも嫌いにならず、もっと言えば、誰からも好かれるタイプでないなら太っちゃいけない。逆に言えば、太ってしまったら人に好かれる女になるしかない。なるべきなのだ。
不思議なもので、世間は“太った女たち”には意地悪な心や嫉妬心はないと思っている。そして、自分のことを必ず好きになってくれると思い込んでしまう。なぜならば、太った女に対しては、世間の方が“好意をもちたい”と思っていて、だからみんないい人、私のことも好きに違いないと自らに信じ込ませてる。そうなることがいちばん収まりがいいと思うからなのである。だから太っている女に少しでも悪意を見つけると、必要以上の衝撃を受け、好意が一転疑問に変わる。なぜ彼女は私を嫌うの?ひょっとしてコンプレックス?
一方、太っていいのは色白美肌の女だけ。言うまでもなく肉感は、脂肪がつくるもので、脂肪は白くて柔らかいから、色白美肌でないぽっちゃりは、やっぱりどうしても可愛く見えないのだ。たとえ洋服からお肉がハミ出していても、白く美しい肌ならば許される。細かいことを言うならば、ハミ出し肉もヨレヨレしたセルライトが目立つようだと美しくないが、見るからになめらかな肉ならば、とても自然にこう思えてしまう。女の肉って美しいと。どうせ太ってしまうなら、太っている女も美しいと思わせなければ損である。
そして太っている美しさを磨き込み、極めていけば、それこそ痩せている女が10人束になっても敵わない、肉感的美女ができあがることも見落としてはいけない。19世紀までの絵画に出てくる“裸婦”はみんな肉がたっぷりとついている。マリリン・モンローだってそう。だからめげずに、美しい肉感を極めてほしい。しかし問題は、太ってしまうタイミング。何らかの大きな挫折をきっかけにして太り出したり、30代後半、40代から急に太り出したりするのはぜったい避けるべき。女を諦めてしまった結果として太ってしまったのだと見えるから。いくらただの食べ過ぎですと訴えても、“不幸な女”にしか見えないからである。諦めたり、苦しんだ結果のぽっちゃりは、だからどうしたって人をキレイには見せないのだ。どうせ太るなら、愛され、いっそ憧れられる太り方をすべきである。それが今、可能なのだから。
どうせ太ってしまうなら、たっぷりした女の肉って美しいと思わせなければ損である
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23