連載 齋藤薫の美容自身stage2

太ってしまう女の幸せと不幸せ

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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女を諦めた結果、太ってしまった女に見えてはいけない……そう言ったけれども、その一方で、今まで必死で頑張ってきたものの力尽き、“ま、いいか”とダイエットをゆるめる太り方は、本人さえよければさほど問題ではない。不幸な肉ではないからだ。たとえば、結婚して安心しちゃって、夫も口うるさく言わないから、ゆるゆるな暮らしで太っちゃう女は、何だか解き放された感じで、妙に明るい。そりゃあそうだろう。“痩せなくていい”し、もう“キレイであること”にしがみつかなくていいのだから。体重が一線を越えても世間や周囲に受け入れられると、女は本当に楽になる。生き方の幅が一気に広がる。洋服がことごとく似合わない不幸をのぞけば、けっこう心地よい生き方ができてしまう。何でも笑い飛ばせば、全員に好かれる幸せも体感できるし。

しかし、何らかネガティブな出来事や苦悩が原因で太ってしまうと、肉が淋しく悲しく見えるから、これは絶対に避けなければいけない。世の中はけっこう残酷で、不幸であるためにキレイでなくなってしまった女には、あまり同情しない。女としてそれじゃいけないと、他人でも腹が立つからなのだろう。人生を棒に振るような太り方には、みんな反対だからこそ手厳しい。不幸の上塗りみたいな太り方は、だから絶対いけないのだ。

しかし不思議なもので、太っていた人が目に見えて痩せると、たとえキレイに痩せても、これが逆にまた不幸に見えたりもする。“痩せること”は“太ってしまうこと”以上に不幸感を宿してしまいがちで、ダイエットで意図的に痩せたのに不幸感が漂ってしまうのは、ひょっとするとその人は宿命的にぽっちゃりで生きていくべき人なのかもしれない。“肉が似合う”ってそういうことなのだ。

もちろん痩せて、見違えるほどキレイになれば不幸感も吹き飛ばすが、痩せたのに何かサイズの合わない服を着ているみたいに納まりが悪い人はだいたい不幸に見える。つまり、宿命的な体重でいることが、幸せに見える決め手なのだ。だからいいのだ、太っていても。『ブリジット・ジョーンズの日記』のブリジットがハマったレニー・ゼルウィガーも、痩せてからは今ひとつ存在感に欠ける。あの人には肉が似合ってたのだ。少なくともそのほうが幸せそうだった。

たぶん“激太り”にしろ“激痩せ”にしろ、急に太ったり、急に痩せたり、肉が激しく増減すると、人の運命が無理矢理に変えられてしまうから、あまり良い気は宿らないのだ。もっと穏やかに緩やかに、体に負担のかからない増減であるべき、という教訓のように。おそらくストレスで太ったり痩せたりするのは、不幸への警告。ストレスや苦悩は目に見えないが、肉の増減がそれを形にしてしまうから、体重変動は悲しいのだ。ともかくストレスで太ったり痩せたりしては絶対いけない。あくまでご飯がおいしいから太り、カラーパンツが履きたいから痩せるみたいに、肉の激減が快楽に満ちたものじゃないとマズイのだ。「もうイイや!ダイエットは明日から始めることにしようっと」と2つ目のケーキにありつこうとする女は、この世でいちばんキュート。ダイエットを一日延期するのは、人生の喜び、そのものなのだから。

世の中はけっこう残酷で、不幸なためにキレイでなくなる女にあまり道場しない。ひどく手厳しい

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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