齋藤薫の美容自身stage2

デキる女ほど、つらい時代がやってきた

2021.01.13

齋藤薫

人気連載「齋藤薫の美容自身STAGE2」。今月のテーマは“デキる女ほど、つらい時代がやってきた”。毎月第2水曜日更新。

齋藤薫

人気連載「齋藤薫の美容自身STAGE2」。今月のテーマは“デキる女ほど、つらい時代がやってきた”。毎月第2水曜日更新。

なぜ今、知的な人ほど、思慮深い人ほど、つらいのだろう

海外セレブには、精神的にダメージを受けていたことを自ら告白する人が少なくない。しかもその顔ぶれは、むしろメンタルが強そうな自信に満ちた人ばかり。いかにも心が安定してそうだったりすることに、驚かされることもしばしば。

例えばクリステン・スチュワート、セレーナ・ゴメス、ケイティ・ペリー……。とくにビヨンセが、何度かうつ状態に陥っていたというのは意外だった。あそこまで恵まれていてネガティブ報道のない人が、なぜ心にダメージを受けるのかと。

確かに「歌姫」と呼ばれる人は、ホイットニーからブリトニー、マライアまで、激太りを繰り返したり薬物に走ったりと不安定な人が多い。ステージ上で信じられないほど怒濤の喝采を受けると、人間おかしくなってしまうのだろうか。それでも知性と良識さえあれば乗り越えられるものと思っていたが、そういえば極めて知的で精力的であるレディー・ガガも、精神的に不安定であることを何かにつけて吐露してきた。「私は生まれてからずっと、うつ病と不安障害で苦しんできた。今でも毎日そう。苦しいことは、人間としてむしろノーマルなことなんだって知ってほしい」。活動家としてそう訴える運動を始めてもいる。そしてスターが精神的に病んでしまいやすい理由をこう述べたのだ。“名声は、人を孤立させる。1位を死守し、トップに君臨し続けることに夢中になってしまう。ゆえに心を安定させるのは難しいのだ”と。

自らの精神状態をそこまできちんと分析できているレディー・ガガでさえ、やはり平常心でいることは難しく、毎日が不安だと訴えているのだから、人間の心はいかに脆いものなのか。

これは喝采を受けるスターだけに限った話ではない。一般社会でも同じ。ある意味才能があってデキる女ほど、そういう状況に陥りやすいのだ。とくに今、このコロナ禍では、有能な人ほどつらい思いをしがちだと言わざるをえない。

一つの必然として、デキる人ほど想像力に優れている。だからコロナ禍からの見えない未来に対して、誰も気づかぬことにまで気がついてしまう。良いことも悪いことも見えてしまう。とくに思慮深い人は、多くのシミュレーションができてしまうから、鋭い勘で自分の未来のネガティブまで感じ取り、悲観的になりやすいのだ。他の人がコロナがどうなるかしか考えていない時も、自分にとって都合の悪い未来も含めて想像できるから。不測の事態による変化は、デキる人間をこそ、不安に引き込むのである。

いや不安の感情だけではない、プライド、嫉妬、疎外感、焦燥感も知性があるからこそ無駄に湧き出てきてしまう感情。今、多少とも逆境に置かれている人は、そうでない人と自分を意味なく比較し、自分だけが世の中から必要とされていないという疎外感に勝手に襲われる。コロナ禍でも全面自粛時期は逆に心が落ち着いていたはずだが、世の中がゆっくりと動き出したあたりから、例えば同年代のライバルたちが早速生き生きと仕事をしているのを見て、自分だけ取り残される焦りとプライドがせめぎあう。いや誇り高いからこそ、仕事への情熱が空回りする形で、自分を孤独に追い込んでいく。だからこの時期、失望以上の思いに駆られ、素晴らしい才能の持ち主ほど、不意に生きる気力を失ったり、心を乱してしまうようなことが起きるのではないか。

デキる女は「大丈夫、大丈夫」と慰めてもらいたいのではない

そんな折も折、俳優・声優の約3割が「仕事が原因で、生きる気力を失ったことがある」というアンケート結果が出てきた。一方に上場企業の社員の約7割が、自分が“うつ”になる可能性を感じているというアンケート結果もあって、よく言われているように、やはり日本は自己肯定感の低い人が決定的に多い国なのだ。

ただ一般的に、自己否定感からの脱却には「大丈夫」「つらいよね」「よく頑張ったね」「もうこれ以上頑張らなくていいからね」と自分に言ってあげることが大切と言われるけれど、今この時期、デキるからつらい人の多くは、そういう言葉では救われない気がするのだ。むしろ自分が活躍する場を失ったり、自分の力が埋もれてしまう不安の中で、自信を失っている自己否定だけに、そうやって「大丈夫、大丈夫」と慰めてほしいのではない。むしろもっと自分の才能を認めてほしいし、自分を必要としてほしい、そういう思いでいるに違いないのだ。

デキる人は、既にもう栄光の時を知っていたり、成功体験があったりで、自分のピークはもう終わりかもという焦燥感があるのだと思う。だから自分自身に言ってあげることがあるとすれば、「あなたにはまだまだやるべきことがある」ということ。「これからすべきことが沢山あるのだ」ということなのだ。

デキる人は、デキるという自負があるからこそ、その力を示せなければ生きる意欲すら失ってしまう。根拠なき自信ではなく、本当にデキる人の静かな自信があるからこそ、仮に家庭では幸福感を感じられても、それでは決して埋まらない“仕事への執着”を持つ女性が少なくないのだ。そういう意味でも、自己否定感の強い女性がますます増えているのである。

演劇に映画、音楽の世界などの文化芸術に携わる人々、そしてあらゆるクリエーター……みな何らか表現するためにその世界に入った才能ある人たちだが、この先、求められる人と求められない人の差がさらに決定的になる。コロナ禍でそういう意味の厳しさは明らかに増した。一方で企業の縮小や閉店などで、職場の椅子の数も減る一方なのだろう。でもそれをどうか椅子取りゲームと思わないでほしい。今こそそういう狭い世界だけで自分の居場所を探すのはやめたい、世の中はもっと広くて大きい。仕事の種類も、一人一人を求めるニーズも本来は限りないはずなのだ。だから狭い範囲での椅子取りゲームの感覚を持たないこと。

何より、自分は必要とされてないと思わないこと。そう、むしろ何かの役に立ちたいと思うこと。どちらも立場は同じ。でも発想はまるで逆だ。誰にも必要とされていないと絶望するか、何かの役に立ちたいという使命感で立ち上がるか。

今をときめくトップ女優エイミー・アダムスは、あまり若いうちに成功しなくて良かったと語っている。確かに『アメリカンハッスル』で大ブレイクしたのは39歳の時。「若い頃は自信と不安を克服する能力がなかったから成功していても長続きはしなかったはず。今も不安を乗り越えたわけではないけど、自分自身にそれほど興味がなくなった。自分の問題に構ってられなくなったんだと思う。自分がどこに収まるかってことよりも、もっと大きな関心事があるから」と。

おそらくは35歳での出産を指しているのだろう。ただこの発言、この感覚、何だかとても心に響く。「自分自身にそれほど興味がなくなった」……自己肯定感が低い人は、自分を大切にできない人、自分を愛せない人だというが、どうもそこには一つの違和感がある。自分のことにしか関心がないから、自分が思い通りにならないと自己否定をしてしまうのではないか。自分のことで頭がいっぱいだから、自己否定せざるをえなくなるのではないか。逆に自分への関心を他のことに向けられれば、自己をもっと楽に肯定できるのに。そう、生きる意欲を失ってしまうのも、自分の問題にばかり心を砕き、自分をどこに収めるか、そればかりを考えてしまうからではないか。もっと周りに目を転じ、何かのために力を尽くすような気持ちになったら、自分を全面否定することなどないはずなのだ。

自分を愛せないとか、自分を大切にできないことを悩むのではなく、逆にちょっと自分から視線を外してみてほしい。はっきり言って今の時代、必要とされることは難しい。だから今こそ、自分自身に集中せず、新しいテーマを見つけてほしい。「自分自身」ではない新しい生きがいを持って。デキる人ほどそういう発想の転換を。価値観のシフトを。その時、人生がまた光を持ってくるはずだから。

格言、自己肯定感が低い人の多くは、むしろ自分のことで頭がいっぱいだから、自己否定せざるをえなくなるのではないか。逆に自分から視線を逸らし、自分への関心を他のことに向けられれば、自己をもっと楽に肯定できるはずなのに

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

Edited by 中田 優子