連載 齋藤薫の美容自身stage2

肉には顔がある。だから、女は23歳を過ぎたら自分の”肉”にも責任をもつべきだ

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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後から増やした肉はNG でも生まれつきの肉づきは美しい

レディー・ガガが突然むっちりと太ってしまった時、“彼女に一体何があったの?”と世界中が大騒ぎした。あれは紛れもなく“いじめ”だった。何のことはない、“父親がオープンしたレストラン” の料理をちょっと食べ過ぎただけ?いや、今思えばあの激太りは、父親のレストランの世界規模の宣伝だったと思えなくもない。それくらいガガはまた、するする痩せていた。過激なダイエットで、年中救急車で運ばれるらしいガガには、肉の増減などどうとでもなるはずで、世界はガガのその肉にしてやられたのかもしれない。

でもこの激太りは、あらためて大切なことを教えてくれた。女の肉はかくも簡単に“別人格”のイメージをつくってしまうこと。世間は太ったり痩せたりした女にかくも冷酷なこと。ともかく女が急に肉を増減させると、深刻な問題が起きていると勝手に決めつける。勝手にその女の人生を憂うのだ。髪がボサボサの女より、5キロ太った女の身の上を憂うのだ。

ただもともと“ふくよか”な人の肉は別。不幸せな印象が宿らない。というより“生まれつきのぽっちゃり肉”は幸せの象徴。不思議だけれどDNAがつくった肉は量が多すぎてもちゃんと美しく見え、時には人を魅了する。愛される肉であり続ける。ところが後から増えた後天的な肉は決して愛されない。必ずネガティブな印象をつくってしまう。DNAがつくった肉はなめらかで弾力に満ち、顔の表情と一体化して見えるが、後からついた肉はどこか不均一で体にも顔にもなじまない。つまり、肉の質まで違って見えるのだ。その人に似合っていない肉だから、肉自体が負の印象を生んでしまうのだ。20代で太ると無精な女に見え、30代で太るとバランスの悪い女に見え、40代で太ると女を捨てた女に見える。だから太っていない女は太っちゃいけないのだ。少なくとも50代までは。

肉づきは自分の意志と生き方でデザインしたもの

肉にも表情がある。いや肉には顔があると言ってもいいし、人格が宿っていると言ってもいい。ふんわり柔らかそうな肉は、愛らしさや優しさや穏やかさをイメージさせるが、固太りの肉は、どこか“ふてぶてしい”。なぜか理屈っぽい印象を与える。固太りはどうしてもアキバ系のオタク男を思い出させるからか。そう、肉はいろんなものを連想させるから人格をもつのだろう。白い脂肪がつくったふんわりした肉は、理屈抜きに“おいしそう”だから愛されるのだと言ってもいい。逆を言うなら、おいしくなさそうな肉はそれだけで不利。女の肉はつねにおいしそうでなければ。

しかも、女の肉はパーツごとにいろんな印象をつくっていること、忘れてはいけない。背中にブラがつくった肉の盛り上がりが見えると、それだけで厚かましい女に見えるし、二の腕の“ふりそで肉”は無駄に人の善さそうな印象をつくるのに、脇のあたりにゆるみが見えると、今度は何だか面倒くさい女に見える。太ももの裏にヨレヨレしたセルライトの兆しが見えただけで、少し物悲しい女に見えてしまう。もちろん逆に胸の深い谷間は女をひたすらゴージャスに見せるけど。

つまり、肉は肌よりはるかに饒舌なのだ。そのことを女は忘れがち。肌にばかり気をとられて、肉の人格に無頓着になりすぎている。女は自分の肉のすみずみにまでもっと責任をもたなければ。「40歳を過ぎたら自分の顔に責任をもて」これはリンカーンが、単に顔の気に入らない男を採用しなかったことを弁明する時に言った言葉。大人の顔は自分でつくったものだからと。成長してからの肉も、自分がつくったもの。肉づきは自分の意思と生き方でデザインしたものなのだ。こんなことはないだろうか?久しぶりに会った人が別の顔になっていてハッとすること。直したとか、太ったとかではない。明らかに顔つきが変わって見える。それはどこかしらの肉づきが変わったせい。肉は知らないうちに移動するのだ。なぜ移動するのか?日々の何気ない表情が繰り返し肉を動かし、クセづけするから。ひとりでいる時すら“精神状態”が知らず知らず肉にクセをつけている。だから顔立ちが変わるのは心がバランスを崩している証とみていい。何らか問題を起こして、引退を余儀なくされた元芸能人の顔立ちが大きく変わっていたりするのは、心の乱れと環境の変化が肉を動かすからなのだ。

女はみんな、“顔立ちを変えられるのはメイクと整形だけ”で、“顔の印象が変わってしまう要因は太ることと痩せることと老いることだけ”と思っている。でも違うのだ。日々の心模様が肉づきを変え、顔立ちを変えている。それを忘れてはダメ。だから成長しきってからの肉には責任をもたないと。たとえば22、3歳くらいまでは、まだ成長過程にあるから、女の顔にも幼さが残っている。顔がぽっちゃりしているのは若さがつくる肉。でもそのあどけなさがなくなってからの肉づきは、すべて自分の責任となる。だから22、3歳から先、女の顔は大きく変わるのだ。見違えるほど美人になる人と冴えなくなる人がいるのはそのため。

これと同じようなことが全身の肉で起こっていると考えてほしい。だから日々の暮らし方で体の形は意外なほど変わる。畳から椅子の生活に変わると、脚の形が真っ直ぐになるように。気づいていないかもしれないが、会話に否定形の多い人は、体型が崩れてる。否定が多いと堂々と胸を張れず、姿勢が悪くなるからバストが下向きになり、おなかが出て、ヒップが下がる。太ももにもふくらはぎにも肉がつく・・・というふうに。人間の体は恐るべきバランスの産物。ダビンチの描いた人間の“設計図”にもあったように、人間の体はあちこち“黄金バランス”でできている。肘から指先までと肩から指先までが1:1.618・・・であるように。まさに奇跡的なバランスを示しているわけで、どこかひとつに変化が起きれば、全身のバランスが崩れていってしまう。だから心の向きひとつでプロポーションさえ変わってしまうのだ。顔立ちも体型も、結局は自分の心と生き方がつくってきたもの。“太った痩せた”だけの話じゃないのである。

女は、顔立ちも体型も生まれつきのもの、ということに“諦め”も持ってしまう反面、それを言い訳にもしている。所詮は宿命で変えられないんだし、と開き直ってもいる。でも本当を言えば、顔も体も心の向きと生き方次第なのである。そこに気づいたら、きっと人はもっと美しくなる。そして幸せになるきっかけも増えるのだろう。穏やかな心で生きることが美人の肉づきをもたらすのは確かなのだ。だからそこから変えてみないか。“肉づきの精神論”を信じて。

女が22、3歳で急に美人になったり、急に冴えなくなるのは、顔の肉づきを自分で決めるようになるからだ

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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