
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
女の50%は、今、美人という時代
諺は本来が“永遠”のもので、時代がどう変わろうとひっくり返ることはないが、「美人薄命」ばかりはハッキリ訂正したい。美人はとかく不幸で早死にするもの……確かにマリリン・モンローやダイアナ妃が30代半ばで不慮の死を遂げたこと、夏目雅子が27歳で帰らぬ人になったことは、まさに「美人薄命」を強烈に裏づけるが、少なくとも21世紀の美人の運命は明らかに変わった。むしろ「美人長命」と書きかえるべき大逆転が起きている。それも美人は今、自らの意志でなるもの。そんな気丈な女たちが短命なわけはない。美人こそ力強い生命力をもつ生き物、という時代になったのだ。
だから思い切って言ってしまえば、今や日本の女の半分は“美人の部類”に入ってしまう。そのくらい美容意識が国レベルで高まって、日本は美人だらけ。だから、その1/2を分けるものとは、ずばりキレイになりたいかどうか。人目を気にするだけで、誰でも“美人ふう”にはなれるから。単純にVoCEを読むような人は、それだけで50%の美人に入るはずで、だから逆にその50%に入ってこないと、やっぱり女としての人生はいろんな意味で暗い。今の世の中、その境界線近辺にいる人が圧倒的に多く、別に美人に人数制限があるわけじゃないが、ふと気を抜くと、たちまち“非美人ゾーン”に入ってしまう。そういう明暗の瀬戸際を歩いている、という自覚が必要なのである。
あんまり耳障りのいい話じゃないが、男たちはこう言い放って憚らない。「女なんて可愛いか可愛くないか、どっちかだよ」。これも“50%美人説”を裏付ける話。翻訳すれば、男が関心を持ち、自らの人生との関わりを模索していくのは、やっぱり可愛い女だけ。17世紀フランスの道徳家・ブリュイエールすらこう言った。「可愛くない女はいない。ただ自分を可愛く見せる方法を知らない女がいるだけ」。男たちも同じことを言っている気がしてならない。だから“どっちか”なら、意志をもってその50%に入りたいのだ。
じゃあ上から30%に入るには、あと何が必要か?非常に極端な例だが、たとえばあの“容疑者・木嶋佳苗”。彼女の主張が本当ならば、つねに愛人が二十数人、男たちから貢がれ、男と会わぬ日はなく、プロポーズも複数の男から受けるというまさかのモテまくり。何だか私たち女は考えさせられた。女は姿形じゃないのか?と。
上30%の美人はもっとも強靭な心の持ち主
結果として、この人は事実上30%に入っている。いや、持て囃され方としては10%に入る勢い。一体なぜ? 彼女自身は“別の理由”をあげていたが、男たちにとっては、あくまで「可愛いか可愛くないかどっちか」、彼女の一体何が可愛かったのか?じつはそれ、声なのだ。裁判を傍聴した人のレポートによれば、「声が意外にも可愛い」。言ってはナンだか、彼女のような容姿であっても、ちゃんとオシャレをして、鈴を転がすようなキレイな声で上品に感じよく話かければ、難なく男心をつかめてしまう。声と言葉の美貌は形の美貌にも等しい効力を発揮するのだ。なんともったいないこと。そこまで女の引力があれば、人生いくらでも大きな成功に繋げられたのに。
かくして声であれ何であれ、美貌は人生を切り開く。だから何でもいい、自分の中に30%の美人を目指す要素を探すべきなのだ。そう、30%の美人はおそらく女の中でもっとも強靭な心をもち、もっとも力強く人生を前に進めるのだろう。大勢の中から30%に躍り出る、その上昇力、よじ登る力、それ自体が理想の人生をぐいぐい形づくっていく力持ちの女たち。10%には入れないけど30%にはよじ登る、それが長命時代をもたらしたのだ。
でももうひとつ、30%へとよじ登るには、どんどん人と関わっていくことが必要だ。たとえは悪いが、木嶋佳苗も男たちへのアピール力がズバ抜けていたから、なんだか美人扱いされた。つまり、相手あっての美人。みんなカン違いしているが、いかなる美人も単に家にこもって鏡の前で悦に入っているだけでは何の意味もない。相手の心を動かせてこその美人。そういう意味からすれば、彼女は正しい。つまり、鏡の前での自己満足どまりじゃ、美人になろうとする時間そのものが無駄。誤解を恐れずに言うなら、人生に役立ってこその美人。彼女はなぜだか自ら人生を破滅させたが、それは幸せへの歪んだ価値観から。今やもう“美人薄命”の言葉を生んだ時代のような、美人の足を引っ張る要素はない。美人への嫉妬も大っぴらに示せなくなり、美人が不幸になる社会の仕組みも認められない。だから美人は堂々と事を成し遂げられるし、遠慮なく幸せをつかめるようになった。だから人生の成功をつかみ取らなきゃウソなのだ。
しかし、上位10%の美人は少し事情が違ってくる。天性の美貌がないと10%にはさすがに入れないからこそ、“恵まれた女”であることへの自覚と配慮が必要。もともと備わっていた美貌を振りかざす女は、未だ世間の反発を免れないから。そこをわかっていないと、大なり小なり“いい気になっているゴーマンな女”というマイナスイメージが宿命としてつきまとうから、意識していい気にならないような自己管理”が必要なのである。
10%どころじゃない。上位1%に入るモデルたちも、今や決していい気になってはいない時代。でないと仕事はない。美人であることにゴーマンになるのは、もう古い価値観なのだ。むしろ今、美人はひとつの“個性”にすぎないという考えをもたないといけない。それでも美人は世間からチヤホヤされてしまうのだから、その分謙虚にならないと。そして上位の美人はよほど“いい人”でないと。いや、とてつもなくいい人でちょうどいい。そういうバランス感覚をもっていないと、やっぱり上位美人ほど幸せになれないのだ。
なぜなら“見た目”はやっぱり人生を振り回す。美貌とはどこまでいっても不可解なもの。人を翻弄するもの。美人はその複雑怪奇なものを自在に操る頭がなければダメなのだ。昔の美人は、キレイなだけで充分。あたかも知性がいらないかのように思われていたが、むしろ今、知恵のない美人はうまく生きられない。美人ほど知性が必要な時代なのである。50%に入っても、30%に入っても、10%に入っても、そのポジションにいる自分をちゃんと自覚していないと、人生を失敗する。女は自分の美貌や魅力の量を充分に知りつつ、そのうえで人と関わっていないと何だか人生をハズすのだ。だから美人として生きるなら知恵をもとう。昔の美人のように、美貌に翻弄されないよう。それで初めて「美人長命」が真実となるのである。
今、バカでは美人をやれない。美人として生きるならせいぜい知恵をもとう。それで初めて美人長命!
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23