
人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。
あなたは、日々自らの本能の訴えを聞いているか?
今の自分の生き方を“何か違う”と感じている人がいたら、どうか聞いてほしい。人の人生は、まさに“人生ゲーム”の如く、どこかの分岐点でズレた選択をしてしまうと、みるみる違う方向へ持っていかれ、一生ズレたままになる。軌道修正しようにも、もう何をどうしていいか……生きるって、だから難しいのだ。もちろん、どんな生き方になっても違和感を覚えることなく、その人生を乗りこなしていける人はいいのだ。でもひとたび違和感を持つと、日々を生きるのにもいちいち不安がつきまとうのが普通。だから一刻も早く気づいておきたいのが、自分の本能に忠実な生き方なのだ。いや、ただ理性そっちのけで思うがままに生きましょうということではない。自分の本能の訴えに耳を傾けましょうと言いたいのである。
多くの人は、本能が自分自身に何かを訴えかけていることを知らずに生きている。たとえばの話だが、二人の男の間で揺れ動いた時、諸々の条件が揃っていて、将来性を感じられる男を選ぶのは計算で導き出す結論。でも、やむにやまれず不利な選択をしてしまうのは、それが本能の結論だから。説明がつかない“生きていく上での霊感”みたいなものがそこで働くのだ。
妻子ある男性の子供を産み、未婚の母となったある女優いわく、あの時の決意と覚悟はまったく説明のつかないもの。当たり前に考えたらありえないのに、この道しかないと感じた。事実20年経ってみても、他の人生は考えられない。何か不思議な、それを読み取る勘みたいなものが働いたのだと思うと。人にはそういう勘がある。運命を読み取る力と呼んでもいい動物的な勘が……。そう、人はそもそも動物なのだということを忘れてはいけないのだ。
以前も書いたが、女の顔は毎日同じではなく、不思議だけれど“排卵日”にもっとも美しくなる。言うまでもなく、子孫繁栄のため。まさに動物の雌と一緒で、“その日”に異性の気を確実に惹くための生態として、形まで美しくなるということなのだ。肌はもちろん、顔だちまで、声や体つき、体臭まで美しく魅力的なものとなるというから、人間どこまで行っても動物なのだと思い知らされる。とすれば、そういう勘も文字通り動物的な、自分の想像を超えるもの。まさに動物が持つテレパシーのような霊感を持っていることを、人はみんな気づいていない。自分の勘というものをもっと信じるべきなのだ。
この数年間、女はもっぱら“肉食系かどうか”という分類に支配されてきたけれど、今あらためて問うべきは、ちゃんと動物的に生きているかどうか。女として男を攻め打つ肉食ではなく、動物のように自らの本能に忠実に、だから人より力強く素直に生きられているかどうかを問うべきなのである。
キャサリン妃も、じつは動物的な女?
たとえば誰?と言うなら、近頃話題の尾野真千子とか真木よう子とか満島ひかりとか。世間にどう見られるかを気にせずに、本能の赴くままに生きている印象がある女優ほど、存在感が強烈でとてつもなく魅力的。人としてカッコいい。失礼ながら、彼女たちこそ今ここで言うところの動物的な女。ただ断っておきたいのは、本能的であることと自由奔放とは違う。動物的であることと、身勝手であることとはまったく違うという事実。
かつては、本能の赴くままに行動することでプッツン女優などと呼ばれた人もいたが、他者を振り回すことが本能的であることではない。我が儘な女は、自意識過剰だから世間を振り回す。でもこの人たちは、自らの責任はきちんと果たし、誰にも迷惑をかけない中で本能を優先するのだ。動物的な女たちは、まったくの自然体で他者の目によく映ろうなどという計算をしていないから、一見、あまり愛嬌のないクールな女に見えたりするが、じつは逆に周囲との協調性も抜群であったりする。だから必要以上に媚びを売らない。人間としての理性と動物的な本能をどちらも持ち合わせている人だから、素晴らしい仕事ができるのだろう。
考えてみれば今の時代、際立った活躍を見せる人は、大なり小なり皆このタイプ。理性を持ちながらも本能的に生きていく。人に迷惑かけずに、自分の信念を貫く性分。浅田真央も安藤美姫も上村愛子も、皆理性的なのに動物的。演技派ケイト・ブランシェットも社会派アンジェリーナ・ジョリーも、そして実業家ミランダ・カーだってある意味動物的。“人生の成功者”は、もう全員半端でなく勘がいい。というより霊感に近いものを持っているから進むべき道が見えていた。動物的な女は、極めて大人、意外なほど精神的に老成しているのだ。
ちなみに人の何倍も耳がいい人は音楽家で成功し、鼻がいい人は天才調香師と言われ、目がいい人は画家になる、というように動物に近い能力を持つ人は皆、“ひとかどの人”になっている。並外れて勇敢な人は必ず世に出ていくはずで、どちらにせよ動物級の能力を持っている人は人生を確実に決める。いや誰にだって備わっている動物的な能力に気づくことで、全員が何かを成し遂げられるのだ。眠れる潜在能力を目覚めさせるとは、そういうこと。全員が動物的な能力を眠らせていて、それを呼び覚ました人だけが運命を自分の手で切り開き、納得できる人生を生きていくことになるのである。
おそらくキャサリン妃も、少女の頃にもう自分はひょっとしたらプリンセスになる、という“動物的な勘”を持ったのだろう。王子と同じ大学を受け直したことで、“ハナからその座を狙ってた”と揶揄されたりしたが、狙ったというより自然にそういう選択をしてた。直感がそうさせたのだ。それが動物的な勘。勘が働かなければ王子とも永遠に会わなかっただろう。仮に狙ったところで、出会ったところで“ご成婚”に至る確率は何万分の一か、何十万分の一か。やっぱり計算ではない、自分の運命を自ら見つけ出す動物的能力の勝利なのである。
ともかく“自分の人生”を生きていないような感覚にとらわれているなら、意識してそういう勘を呼び覚ましてほしい。自分の中にある動物的な勘に聞いてみるのだ。私はこれでいい?もっと違う道がある?何らかの答えやヒントが出てくるまで、聞き続けてほしい。きっと何か手がかりが掴めるはず。少なくとも、排卵日にいちばん美人になるほど、女は動物の雌。だからその日を無駄にせず、自分という女がもっとも高く評価される日だと自覚して、誰かに会いに行こう。そうやって本能に忠実に、動物的に生きれば絶対に人生がうまく行く。そう思えてならないのだ。まずは本能の訴えに耳を澄ませて。
人生の成功者は、全員が理性的なのに動物的。本能に忠実なのに、身勝手でない女を生きよう
Edited by 齋藤 薫
公開日:2015.04.23