連載 齋藤薫の美容自身stage2

“自分のため”と”人のため”…… その割合が、女の印象をつくっていた!!

公開日:2015.04.23

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

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“美しい日本人”を自覚しよう 日本が嫌われている今だからこそ

W杯初戦で日本のサポーターが、試合に負けたのに観客席のゴミを拾って帰ったことが、海外メディアで絶賛された。この時ふと思い出されたのが2011年の震災時、被災した人々が世界から称賛されたこと。暴動も強奪も起こさずに、皆ルールを守って未曾有の大震災に耐えていたからと……。

正直、日本中でスポーツ観戦後や数万人規模のコンサート後にゴミが散らかってないわけじゃ全然ないし、日本人がみんな東北の人々みたいに冷静に穏やかに非常事態を乗り越えられるわけじゃない。少々こそばゆいが、ともかく日本人が評価されるたびに身が引きしまり、そうよ、私たちってそうなのよと改めて気づかされ、体の中で眠っていた何かを呼び起こされる気がするはず。

安倍首相がかつて「美しい国、日本」と連呼した時、曖昧なキレイごとだと批判を浴びた。もちろん意味はもともと大分違うけれども、同様にこの言葉が不意に浮かんできて、改めて良い言葉だとしみじみ思えたりするのも、私たちの中に眠っている何かがうずくように胎動を始めているからじゃないか。「美しい国の美しい日本人」。そういう自覚が目を覚ましかけているからではないか。

ひとつのきっかけは、日本が隣国の韓国や中国からやたら嫌われていること。批判されてるのはほとんど“歴史認識”だけなのだが、それ以上に、嫉妬なのか何なのかともかく気にくわないという嫌われ方をしてる。そこで今まではあんまりなかったナショナリティみたいなものが、急に生まれたのは確か。でも彼らの反日感情に食ってかかるのじゃなく、私たちはそんなふうに嫌われるような人間じゃないはずと、自分たちの中にある良心を自覚し直す人が今少なくない。美しい日本人にならなきゃという、目覚めを感じる人が少なくないのだ。

最近はどこの国に行っても中国人だらけだが、かつてはどこも日本人だらけだったし、同じような陰口も囁かれていたから、大きなことは言えないが、それだけに、自分たちが日本人であることを今一度きっちり自覚し直して、世界に評価される日本人の誇りをきちんと持ち直すべきだと思うのだ。嫌われたことを機に、“美しい日本人”を自分の中でもっと活性させるべきだと思うのだ。なぜだかアンジェリーナ・ジョリー初監督で、誤解だらけの強烈な反日映画も作られるらしいし。

あの時芽生えた”キレイな心”を眠らせたらもったいない

そうすべきもうひとつの理由は、あの時明らかに扉が開いた“キレイな心”が、何だかまた閉まりかけているから。他でもないあの震災の時、日本人の心に変化が起きた。何だかみんな“人のため”“誰かのため”、自分には何ができるの?と本気で思っていた。それまでは慈善的なことと言えばチャリティコンサートに行くぐらい、エコの精神は人気のエコバッグを行列して買うことにすべて注ぎ込むというふうに、誰かのためなんて1%もなかったような“自分大好きの女たち”でさえ、あの時は“誰かのために何かしなきゃ”と思ったはずなのだ。

でもあれから3年、震災のショックが和らぐとともに、“人のため”という心も塞がっていった。景気が上向いたような気配に押されて、女はまた再び自分の買いものに夢中になっている。不思議だけれど日本では、物欲と慈善の心がなかなか両立しない。日本人の日常にはボランティア精神が根づいていないから、“自愛の心”と“慈愛の心”が両立しにくいのだ。

ただ3年前のあの頃、せっせと美容したり必死でオシャレするのは、「自分ばっかりキレイになるようでちょっと後ろめたい」と思ったはずだが、それ自体も逆に間違っていたのかもしれない。キレイになりたい気持ちやオシャレしたい気持ちを持ちながら、“誰かのため”という意識を併せ持てばいいだけなのだから。自分もちゃんと美しいが、“人のため”も心に宿している人、それを世間は“美人”と呼びたいのだから。そもそもあの頃みんな表情まで優しく柔和になっていたはずで、せっかく宿ったキレイを減らしてしまってはもったいなさすぎる。

いやそれ以前に、あの時せっかく芽ばえたキレイな心を、ちゃんと大きく育てないままに枯らせてしまうのは、あまりにももったいない気がするのだ。それこそあの時、多くの人が自分の心がいきなり浄化されたのを感じていたはず。私の中にこんなにキレイな心が隠れていたなんて!!と驚いた人もいたかもしれない。多くの人が大きなストレスを抱え込んでいる一方で、自分の心で心が洗われていき、今まで感じたことがないほど気持ちが静かに穏やかになり、体の中が澄んでいることに安らぎさえ感じていたはずなのだ。

つまり“誰かのため”と思うと心が安定し、もっと優しくなれるのが人間の心の構造。だから自分が救われる。W杯でゴミを拾って帰ったサポーターも、試合に負けたのに清々しかったはず。“人のため”は、じつのところ自分を救うのだ。

とても単純に善いことをした日、わかりやすく言うなら電車でお年寄りに席を譲った日。一日中心が清々しくて穏やかで、たぶん表情も柔らかく、まさに身も心もキレイな女ができあがっているもの。そこから大いに学べるのは、“人のため”がキレイのキモ。必死の美容だけでは何だか空回りして、やった分だけキレイになれない気がしていたはずだが、それは100%“自分のため”だけに生きている“歪み”なのだ。“人のため”“誰かのため”がまったくなくて、いつもいつも“自分のため”に生きていると心が荒れるし、疲弊する。“自分への執着”がどんどんエスカレートするから結果的につねに心が満たされず、イライラしている不安定な女ができあがるのだ。そこを何割か“人のため”にも生きると、とても自然に心が安定し、身も心もキレイになれる。そういうこと。

中には、自分のことなどどうでもいい、“100%人のため”みたいな生き方をしている人もいる。でもそれは運命的にそういう使命を持たされた人だけにできること。ふつうは無理。“人のため”が半分を占めるのも、たぶん選ばれた人だけだ。無理する必要はない。10%でも20%でも、“誰かのため”が心の中に息づいていれば、間違いなく安らかな心によってキレイになれる。もちろん歳を重ねるほどに“誰かのため”を増やしていって、最終的に半々になるのが目標だ。それもじつは、立派な美容。だって化粧室に入って洗面台をビショビショにして出て行く人は、いくらキレイに化粧直ししてもキレイに見えない。あとの人のために洗面台をキレイにふいて出て行く人だけが美しい。それだけは確かなのだから。

“誰かのため”と思うと、不思議に心が安定し、穏やかになれる。だから自分自身が救われる。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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