連載 齋藤薫の美容自身stage2

女は本来がもっと打算的に生きるべきである

公開日:2016.06.08

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは女は本来がもっと打算的に生きるべき理由について。毎月第2水曜日更新。

人気連載「斎藤薫の美容自身 STAGE2」。 今月のテーマは女は本来がもっと打算的に生きるべき理由について。毎月第2水曜日更新。

キャサリン妃は打算的なのか? 当然の女の夢を叶えただけ

 キャサリン妃はよく知られるように、ウィリアム王子の大学の同級生。しかし絵に描いたようなシンデレラストーリーには、案の定“水を差す声”もあったようで、それが「王子とわざわざ同じ大学に入学した」というもの。すでにエディンバラ大学への入学を決めていたのに、王子の進学が発表されたセント・アンドリューズ大学に急遽変更したとの説が浮上した。ただこれが事実であったとして、あなたはキャサリン妃を“計算高い女性”と思うだろうか? 逆にもし一国の王子が自分と同じ年齢なら、どんな女の子でも“王子に見初められる夢”を見たはず。一方で、娘をプリンセスにすることに必死だったのは、元“客室乗務員”の母親だとも言われたが、それこそ王子と同年代の娘が王妃になる可能性を考えない母親はいない。第一これは、狙って狙える話じゃない。キャサリン妃はやはりそういう星の下に生まれついた人。そういう人がもし、王子に近づく努力を何もしなかったら? と考えるとそのほうが問題だ。女なら誰でも見る夢を見て、誰もが望む幸せを手にしようとするのは、計算ではない。キャサリン妃の場合は“成果”が大きすぎただけで、女に生まれたら、この程度の計算は当たり前のことなのじゃないか。

 ’70年代から’80年代、日本の女は限りなく“打算的”だった。“三高=高学歴、高収入、高身長”が結婚相手の基本的条件であり、“玉の輿”を狙うのもごく普通のこと。良い結婚を誰もが望んだから、誰もそれを打算と思わなかった。でもバブル崩壊以降、そうしたエネルギーは一気に低下、結婚で自分を高く売ろうとは思わなくなった。それは、仕事上のスタンスにもよく現れていて、’80年代に多くの女性が具体的な方策もなしに抱いてい“成功願望”も、するすると消えていった。もっと言うなら、露骨な“野心”を持つこともなくなったように思う。 総合すれば、それはやはり“女の進化”。自分の身の丈を知り、法外な結婚も望まない。社会のニーズと自分の立場を客観的に見つめて、無謀な成功願望も持たない。それは明らかに精神的な女の進化。社会人としての成長。その分、女たちはトゲがなくなり、カドもなくなり、人との軋轢もなくなり、人の心もちゃんと読めるから、“独りよがり”にならない。妙な夢も見ない分、計算もしない。これはまったく喜ばしいこと。いずれにしても今は’80年代と比べて、日本の女が精神的に大人なうえに清らか。“欲”よりも、心静かに生きる手段を選んだのだ。身に余る“大きすぎる幸せ”を望まず、スイーツとかヨガとか、女同士のおしゃべりとか、猫の温もりとか、そういう日常的な心の平和による小さな幸せだけで充分心が満たされる時代にした。いや確かに、そのほうが日本女性らしい。生き方に奥ゆかしさが戻ってきたと考えてもいい。でも一方、ふと思ったのは、それってあまりに禁欲的すぎないかということ……。
(次ページへ続く/アプリでご覧の方はそのまま表示)

計算は、何のために使うのか? 幸せに興味がない人は注意

 久しぶりに見た紋付袴、振り袖姿の入籍会見は、概ね好評だったというが、やはり見事にキラめいて見えたのは、新婦の正しい野望と達成感。高級感ある幸せを自分の手で摑み取ったという誇らしげな表情が、何だか懐かしくも眩しく見えたもの。でも“梨園の妻”になることが、圧倒的に由緒正しい“玉の輿”なのは違いなく、こういうポジションの女優さんにとっては、ひとつの理想のゴールと言っていい。“良いお友達”から自然に発展していったのだというが、“十二単”を着る夢を叶えたという一度目の結婚を振り返れば、尚さらこれがこの人にとって理想の結婚であったことが頷ける。

 逆に今は、多くの女性が“理想の結婚”に対して関心を失っている時代。“三高”が“三低”に変わり、「低姿勢、低リスク、低依存」的な譲歩が一般的になっていて、あげくに「別にひとりでもいいや」的な諦めも日本中に蔓延している。そんな中であの華やかな結婚会見は、良くも悪くも刺激的だった。

 いやもちろん梨園の妻は、出しゃばりすぎてもいけないし、引っこみすぎてもいけない、派手でも地味でもいけないという絶妙なバランスを求められる。いい気になどなっていられぬ難しい立場なのに、なんのその。“努力家”にして“完璧主義”のこの人の得意分野でもあり、“やりがい”さえ感じさせつつ、完璧にやり遂げていることも披露された。いずれにせよ、紀香さん一流の一生懸命さが伝わってきたのだ。

 正直なところ“理想の結婚”は計算ばかりじゃ成立しない。むしろ努力が伴わないと、形にはならないのだって痛感させられた。それこそ“女優”にとって“梨園の妻”というステイタスは、キャサリン妃が今の立場を夢見たように、夢見て当たり前とも言える。打算があって然るべき。それを持ち前の努力で見事成し遂げたことには拍手を送りたい気にもなった。

 ともかく、言動が過剰で“わかりやすい”からこそ、たびたび話題にのぼる人。そういう意味で今回の結婚ほど、わかりやすいものはなく、改めてこの人の“幸せへの執着の強さ”を見せつけられた。でも女はやっぱり、幸せになるために生まれて来た性。それを掴み取った喜びを抑えきれずにパンパンになった表情を見ると、いっそ清々しい。女はやっぱりこうでなきゃと思うのだ。“サイズの大きな幸せ”には興味がなくなった女は、どうしたってキラキラして見えないから。

 だから日本の女は逆にもう少し打算的になってもいいのじゃないかと思うのだ。いや打算という言葉がいけないのかもしれない。それは“損得を勘定すること”にほかならないから。でも自分の人生における損得も考えずに生きるなんてバカげている。どっちの道に進むほうが、幸せになれそうか? も考えず、闇雲に歩き出すなんて愚かすぎる。ましてや女はやっぱり、多少とも損得を考えないと損をする。男の言いなりになる都合のいい女、みたいに。幸せになることに一生懸命な人のほうが、結果的に“良い結婚”をしているのは確か。だから“幸せへの貪欲さ”だけは失わないでほしいのだ。

 一方で今、有頂天な人のアラを探して引きずり下ろすのが恒常化している。もちろんゲス男たちは、どんどん失脚しちゃえばいいが、ただのアラ探しをしているのは、どうも“自分が幸せになることに興味がないフリ”をしている人なんじゃないかという気がしてならない。少なくとも、自分が幸せになることに一生懸命な人は、人の足を引っ張ったり、人の幸せを邪魔している暇などない。おそらく、自分の幸せに関心がなくなった人は、基本的に心が暇だから、そうなってしまうのだろう。自分だって自分の幸せに一生懸命になればいいのに。そういう意味でも、“自分が幸せになるための計算”と、“他人の幸せを上手にヤジる計算”を比べて、どっちが建設的か、時々考えてみることにしよう。

 どっちにしろ、幸せになるのには努力がいる。黙って待っていてもやってこないから、当然努力も必要だし 、失敗もあるだろう。“幸せになるための計算”はすなわち、“幸せになるための試行錯誤”。苦労して苦労して摑み取った幸せは、いずれも尊い。だから計算は、自分の幸せのために使おう。大丈夫。充分に進化して、世の中がよく見えるようになった今の女たちは、計算しても“独りよがり”にはならない。嫌われない。賢く生きる術を知るだけ。やってみよう!

Image title

Edited by 齋藤 薫

公開日:2016.06.08

Serial Stories

連載・シリーズ