連載 齋藤薫の美容自身stage2

美容はそもそも、清潔か?――キレイ最大の落とし穴にはまる時

公開日:2015.04.23

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。 毎月第2水曜日更新。

「化粧品を買っているところを、人に見られたくない」と言った人がいる。これもひとつの“後ろめたさ”には違いないが、この人の場合はもう少し明確な理由があった。好意を寄せている男性が、「化粧品を夢中で買ってる女性で、キレイな人ってひとりも見たことがない」と言ったのだ。そんなはずは絶対ないが、そのニュアンス、わからないではない。私自身、化粧品のことを早口でまくしたてている自分を“何だか醜い……”と思ったことが何度もある。体中にミドリ色のパックを塗りたくるエステの映像を見て、「あんなに醜くなってまで、キレイになりたくはない」と全身美容のモニターを断った女性がいたことも思い出した。美しさを生み出す場所やシーンは、必ずしも美しいものとは限らないのだ。むしろ、美しさとの対比で、それらがよけい醜く見えてしまうことはあるのだろう。だからこそ強く思うのは、今“さらに上の美しさ”を望むならば、「汗水たらして、キレイになる美容」から、「すみずみまでが清らかな美容」へと、あなたの美容生活をランクアップさせてみるべきなのかもということ。

あのシュウ ウエムラの植村秀氏が「美しいものにしか、美しさは作れない」と言った。これを聞いた時、私は自分のバッグの中にあるファンデーションのスポンジが少し汚れていることが気になった。汚く古いスポンジでは、いかに凄いファンデーションもキレイにつかないのはみんな知ってるが、このメイクの神様は汚れたものでキレイになろうとする気持ち自体が決定的に間違いだと、訴えたかったのだと思う。スポンジひとつ清潔にしておけない自分に、美を語る資格があるんだろうかと胸が痛んだ。化粧品を夢中で買うことはいい。でもそういう姿が、他人の目から見て、決して美しくは見えないこと、野菜を買っている姿のほうがむしろ美しいことだけは知っておこう。たとえば“化粧品の買いもの”ばかりは意識して身も心も清潔にして出かけるみたいなことが、きっと必要なのだろう。さらに、キレイになるための道具をいつも完璧に清潔にしておくことはもちろん、たとえふいに他人に見られてしまっても、恥ずかしくない姿で清らかに美容すること。それを習慣づけてみてほしい。きっと何かが変わってくる。美しさの格が違ってくる。

私たちは並外れて美しく品格ある女性のことを、「トイレにも行かないような人」とか「物を食べてる姿が想像できない人」というふうに表現する。これは“生活感”を感じさせないと同時に“食欲”など“欲”のつくものをひとつも持ちえないほど清らかだという意味であると思う。美容も同じなのだ。「毛穴のゴミを取ってる姿」はおろか「化粧品を買ってる姿」すら想像のつかない人になるべきなのだ。キレイへの欲望はあってもないように見える人を今、目指してみてはどうだろう。

トイレに行かない美人、化粧品を買わない美人。そんな雰囲気づくりがミソ

ひとつの生命が産み出されるシーンは神秘的でも感動的。しかし、キレイを産み出すシーンは神秘的にして感動的でもないから、その分意識して美しく演出しなければならない。「トイレにも行かないような美人」を目指すなら、美容行為や化粧品買いの姿も、うっとりするほど美しく決めるべし。

Edited by 齋藤 薫

公開日:2015.04.23

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