齋藤薫の美容自身stage2

「わきまえない女」でいたいか?「わきまえる女」でいたいか?の“わきまえ方”

2021.04.14

「わきまえない女」でいたいか?「わきまえる女」でいたいか?の“わきまえ方”

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「わきまえない女」でいたいか?「わきまえる女」でいたいか?の“わきまえ方”。毎月第2水曜日更新。

「わきまえない女」でいたいか?「わきまえる女」でいたいか?の“わきまえ方”

人気連載「齋藤薫の美容自身 STAGE2」。今月のテーマは「わきまえない女」でいたいか?「わきまえる女」でいたいか?の“わきまえ方”。毎月第2水曜日更新。

「わきまえる」はすっかり悪者。でも「わきまえない」のも難しい

わきまえた女……私はこれまで、できるなら“そうありたい”と思ってきた。「あの人、わきまえてるね」いろんな場面で、そう思われたいと。だからこうも思った。もしも自分がその会議にいたら、きっと“わきまえてしまった”だろうと。つまり、自分の意見も言わず、上の意見に賛同していたのだろうと。

説明するまでもなく、東京五輪組織委員会元会長の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」との世紀の失言。その時一緒に話されたのが、ここにいる女性理事は「わきまえておられる」。そう持ち上げたつもりが、女性蔑視発言として世界的な批判の的となっていた。

だからネットから政界まで「私はわきまえない女!」「そう思われたって構わない!」の大合唱。これには何だか胸がワクワクしたが、一方でちょっと待てよと思ったのも事実。“もったいない”のように日本語には英語に直訳できない言葉がたくさんあって、“わきまえる”も直訳がないから、さまざまに訳され「立場を知れ!」と訳す海外メディアもあったりする。つまり“わきまえる”がすっかり悪者になってしまったからだ。

“わきまえる”は辞書を引くと“物事を弁別する”つまり良いか悪いかを見分ける、大人として物事の道理をよく知り、正しい判断ができること、とある。忖度することでも、人の顔色を見ることでも、ましてや男社会の中で黙ることでもない。

言わずもがな、今回のように間違った価値観がうごめく歪んだ場面に於いてのみ“わきまえなくていい”のであり、“わきまえない女でいい”は、差別に対するスローガンに過ぎないのだ。万が一でも意味が歪んで伝わるのはまずいから、あえて言いたい。わきまえることの正しさと、わきまえないことの危険性を。

わきまえないのは本来“空気を読めない”より、罪深い。なぜなら空気は空気に過ぎないが、わきまえないのは暗黙のルールを破ること。人の結婚式に主役みたいなドレスを着ていく女や、スピーチで花嫁の笑えない恋愛遍歴をしたり顔で話す女の“わきまえなさ”が許されるはずがないように、KYは自分が損をするが、わきまえない女は人に迷惑をかけるから。

ちなみに「私はわきまえない女でありたい」といわば身内の批判をした自民党の稲田朋美議員の勇気には拍手を送りたいが、でも申し訳ないけどこの人自身、防衛大臣時代はわきまえない言動が物議を醸した。わきまえないって難しいのだ。

確かに世の中、判断が難しい場面は少なくない訳で、でもそういう時こそ見事わきまえた行動をした女性の話をしよう。

「わきまえない女とは私のことでは」そう名乗り出た女性がいた

実は、森元会長の差別発言が大きく報道された翌日「あの“わきまえない女”は私のことではないか」と名乗り出た女性がいた。ラグビー協会初の女性理事にして昭和女子大学特命教授という人物だ。ラグビーだから当然だが、競技経験がなく「私の発言や疑問は唐突で、驚かれるような内容も多かったはずだし、私が入ったことできっと会議は長引いたでしょう」と自省し、でも逆に素人の立場で質問したり、意見を言わなければいけない使命感からだったとも語った。

物腰の柔らかい、非常にわきまえた印象の女性である。実際は、この人を指していた訳ではなさそうだが、世界中が大騒ぎをしている最中にそうやって名乗り出るって実に勇敢だし、わきまえた女性の典型といえるのじゃないか。なぜなら何割かは、“他の女性理事たちに疑いが及ばないように”という犠牲的精神からだったはず。そう思うと何か切なくなる。単に謙虚な人や控えめな人を、わきまえた女というのではない。密かに配慮ができる人こそを指すのだろうから。

昨年“トランスジェンダーの男性役”を演じることに意欲的に取り組みたいと明かした女優ハル・ベリーが、批評家などから批判を浴びた。それも「心と体の性別が一致したシスジェンダーが、トランスジェンダーを演じるべきではないし、そもそもトランスジェンダーの仕事は限られているのだから奪うべきではない」というもの。

演技派女優としてはまたとない挑戦だったのだろうが、ハル・ベリーは即刻謝罪をし、この役を辞退した。しかも、こんなふうにツイートしたのだ。「私はこの批判的な意見に感謝します。今後も意見を聞き、自分を教育し、過ちから学んでいきます」と。この“過ちから学ぶ”という表明、まさに“言うは易し”の典型でなかなかできることじゃないが、この人は以前に素晴らしい学びを見せている。ハリウッドはアカデミー賞の真逆、最低映画賞のゴールデンラズベリー賞(通称ラジー賞)を大真面目に選んできたが、記念すべき25周年ラジー賞で最多4冠を獲得したのが『キャットウーマン』、最低主演女優賞に輝いてしまったのがハル・ベリーだった。

受賞者は無視を決め込むのが普通なのに、彼女は授賞式に現れ、オスカーを獲った時の受賞スピーチを自らパロって、トロフィーを天に掲げ、涙をこぼさんばかりに感動してみせた。もちろん会場は喝采の嵐。「胸を張って敗者になれない者は、勝者にもなれない。失敗から学ぶことの大切さを忘れてはいけないと思う」との語りは、伝説として語り継がれている。

しかしさらにここにはオチがあり、授賞式では「私はあの役を精一杯演じたし、作品に出演したことも誇りに思う」と言い切ったが、実はストーリーについて最初から“何かがおかしい”と思っていたと最近になって明かしている。「なぜバットマンやスーパーマンのように世界を救わないの? キャットウーマンはなぜ顔を破壊するフェイスクリームから女性を救うことしかできないの?」と。

黒人女優の自分がスーパーヒーローを演じるという使命感に燃えていたのに、それが果たせなかった忸怩たる思いを語ったのだ。それでも当時は、制作スタッフの素晴らしい仕事ぶりを労い、感謝を述べた。授賞式に出たのは彼らのためでもあったのだ。それもまた勇気ある行動。まさに二重三重にわきまえた女性である。

ちなみにキャットウーマンは、若さと美しさに嫉妬する化粧品会社オーナーの妻による、恐ろしい副作用があるクリームの発売の秘密を知って、これを阻止する役どころ。だから“史上最低のスーパーヒーロー”という汚名を着せられたが、女性たちを守った勇敢かつ心優しいヒーローとして改めて彼女を称えたいのだ。わきまえるってある意味とても静かな行動。本来が人に褒められたりはしない。でもだからわきまえるって美しいのではないか。

正しくわきまえることができる女性の美しさは時代を超える。“何が正しいか”がよく見えているからこそわきまえることができるわけで、そういう人は妙な言い方だが、“何が正しいかが見えていない人たち”の分まで、この世を浄化する尊い役割がある気がする。少なくとも、英王室という見えないルールだらけの世界で、メーガン妃の分まで頑張って王室を支えているのが、上手にわきまえる女、キャサリン妃であるように。

以前こんなことがあった。ある女性と待ち合わせて“共通の知人”と会う約束をした日、彼女はきちんと手土産を持ってきていた。手ぶらの私がしまったと思ったのも束の間、何の打ち合わせもしていないのに、その手土産を差し出す時、彼女はこう言ったのだ。「これは私たち二人からです」と。何という人なのだろうと、その場でちょっとジーンとした。私に恥をかかせまいとしただけでない、彼女は自分だけが“気が利く女”と見られることを避けたのだ。まさに二重のわきまえ方。女性として見事だと思ったし、生涯信じていていい人だと思った。

そういうことが黙ってできるのが“よくわきまえた女性”であり、人に褒めてもらうためではなく、むしろ目に見えないところで配慮をきかせ、そっと正しいことをして、いつの間にか誰かを救っている、だから必ず尊敬されている人。ハル・ベリーもそうだし、「わきまえない女性って私のことでは」と名乗り出た教授もそう。だから改めて思った。自分もそういう“わきまえ方”ができる女にならねばと。「あの人、わきまえているね」と言われたいと思っていたこと自体、大間違いだった。わきまえるとは人知れず正しい配慮ができること、なのだから。

人に褒めてもらうためではなく、むしろ目に見えないところで配慮をきかせ、そっと正しいことをして、いつの間にか誰かを救っている、だから必ず人から尊敬されるのが、本来の「わきまえた女」である。

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 デザイン/堀康太郎(horitz) 構成/寺田奈巳

Edited by 中田 優子

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