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映画『ドライブ・マイ・カー』で描かれる、「正しく傷つく」までの物語

更新日:2021.10.11

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

村上春樹による同名短編小説を、世界から注目を浴びる濱口竜介監督が映画化。話題作『ドライブ・マイ・カー』の主人公がたどり着いた境地から見えてくるものとは? ハンドル、呼吸、男性性などのキーワードから、ライター西森路代さんが読み解いていく。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

村上春樹による同名短編小説を、世界から注目を浴びる濱口竜介監督が映画化。話題作『ドライブ・マイ・カー』の主人公がたどり着いた境地から見えてくるものとは? ハンドル、呼吸、男性性などのキーワードから、ライター西森路代さんが読み解いていく。

「正しく傷つく」こととの向き合い

現在公開中の濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』。この映画の中には、主人公の家福(かふく)悠介(西島秀俊)が語る「僕は、正しく傷つくべきだった」という台詞があり、この部分は映画のテレビCMでも印象的に使われている。

個人的には、この台詞こそ、この映画を表すものであると思っている。そして、この台詞を軸に映画を見て行くと、家福が自分の心を見つめられるようになることが、映画のテーマであり、またこのテーマが現代の社会においても重要なことであるように思う。

この映画は、村上春樹の短編集『女のいない男たち』の中の『ドライブ・マイ・カー』を原作にしていて、それがタイトルとして使われているが、ほかにも、この本の中の『シェエラザード』と『木野』という二本の短編からも発想を得ているのだという。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

「僕は、正しく傷つくべきだった」という台詞のもとになる描写は、『木野』の中にある。主人公が離婚を決めた妻と会って話し合う際に、浮気をしていた妻から「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と聞かれ「僕もやはり人間だから、傷つくことは傷つく」と答えながらも、後になって自問すると、それは半分は嘘で、「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ」と認めたというシーンで出てくる。

映画の中で主人公の家福は、妻を突然、失った後、回り道をしながらも、最終的にやっと「正しく傷つくべきだった」というところにたどり着く。その過程がおよそ三時間にわたって描かれているのがこの映画なのだと思う。

ここでは、筆者なりにこの映画を見て感じたことを書いていきたい。もしも、映画を見て、自分自身で考えたい人は、考え終わってから読んでもらったほうがいいかもしれない。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
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